第9回クロスメディア研究会【11月28日】

2015/11/09 クロスメディア研究会

第9回クロスメディア研究会開催のお知らせ

第9回クロスメディア研究会の研究発表を下記のごとく開催します。
開催日時:2015年11月28日(土)14:00-18:00
開催場所:大妻女子大学千代田キャンパス F棟4階F444教室
〒102-8357 東京都千代田区三番町12
03‐5275‐6026(斎藤恵)
アクセスマップ https://www.otsuma.ac.jp/access/chiyoda
キャンパスマップ http://www.otsuma.ac.jp/about/facilities/chiyodacampus

以下研究発表の発表者、タイトル、概要です。

発表者:柴岡信一郎(日本ウェルネススポーツ大学)
タイトル:1940年幻の東京オリンピックからの連続性を辿る
概要:今日、2020年東京オリンピックに向けて様々な準備が進み、国を挙げてのオリンピックムーブメント創成が進む。本発表では、戦況の悪化により開催を返上し幻に終わった1940年東京オリンピックを取り上げる。同オリンピックの公式プログラム冊子を基に、予定されていた競技会場の今日の現況を記録し、以降の1964、2016、2020年と続く東京オリンピック構想及び都市開発における連続性を報告する。

発表者:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)
タイトル:「現代芸術」と「現代アート」の相異
概要:アメリカ独立宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)、イギリス産業革命(1750~1850年代)という闘争を経て人類が獲得した「自由」は流通拡張と人口増加を培養し、「平等」が「贅沢」を促す市場経済という欲望の競争の顛末は即ち戦争であった。歴史的建造物が灰燼に帰し、人間が人間を人間と思わず大量殺戮する世界大戦を目の当たりにしたアーティスト達は、神や王、君主に帰属しないちっぽけな存在である「我々が此処に居てよい」ことを証明するために「現代芸術」を「発見」した。無鑑査・無褒章・自由出品の美術展、アンデパンダン展もまた、資本主義が確立した後の1884年にフランスのパリで開催され始めたことも見逃せない。モネやゴッホのモダニズム絵画の価格上昇と、アメリカ抽象主義やポップアート作品の価値増大の違いにも留意すべきだ。今日、NYC、北京、ロンドンで競売されている「現代アート」と1915年当時の「現代芸術」は、厳密に峻別されるべきである。

発表者:相田アキラ(ゲスト発表、清里フォトアートミュージアム)
タイトル:メディアの変遷―写真感光材料の歴史からみるフィルムからデジタルへの移行についての考察―
概要:写真の記録メディアは、この10年でフィルムからデジタルへと完全に移行した。CCDやCMOSといった撮像素子の登場は、カメラにとってイノベーションと言えるものに違いない。
一方で、写真感光材料の歴史をひも解くと、それまでの常識を覆すような発明から写真の技術が飛躍的に向上したという事象は少なくない。例えば、ガラス乾板からフィルムへの移行や、カラーフィルムの実用化等、数多くの発明が生まれている。
デジタルカメラは、フィルムカメラを知る時代の人々にとっては驚きの技術である。しかし、こういった技術の革新が、不定期ではあるが、あるスパンを経て登場するという事実を我々は忘れていたのではないか。我々はフィルムの時代があまりに長かったことで、いずれ新技術が登場してくるという予測を見過ごしてはいなかったか。
今発表では、フィルムからデジタルへの移行について詳しく振り返り、出来れば今後の写真の発展についても考察したい。

発表者:斎藤恵(大妻女子大学)
タイトル:こどものために書かれたピアノ作品―練習曲を中心に―
概要:こどものために書かれたピアノ作品には、大きく分けて、教則本あるいは練習曲というタイトルが付けられたものと、そうでないものがある。そうでないものとは、たとえば「こどものためのアルバム」や「こどもの情景」、「こどもの領分」等、「こどもの・・・・」というタイトルが付けられているもののことを指す。しかし練習曲というタイトルを持ってはいても、一旦、その曲集を開いてみると、たんに番号が付けられただけのものと、個々の曲別にこどもに関するタイトルを持っているものもある。一方、「こどもの・・・・」というタイトルが付けられていても、実際に年少者が演奏するには難しい作品もかなり存在している。本発表では、教則本や練習曲を中心にして、こどものために書かれた西欧と日本の音楽作品の内容について考察してゆく。

発表者:河合明(芸術メディア研究会)
タイトル:ヒット曲は必要か?自己目的化社会から自己共生成社会へ向けて
概要:今日の経済格差の問題に対して「新自由主義」が規制緩和を促進し市場メカニズムによって経済全体を活性化させるトリクルダウン(富裕層をさらに富ませれば貧困層の経済状況が改善する)によって問題を解決しようとするなら、リベラリズムはNPOなどの「社会的起業」のように「人間は誰でも始めから社会的存在であり、皆平等である。」という公平な冨の分配にある。どちらにしても経済成長による安定的な富の創出が不可欠なのであるが、先進国の経済はもはや限りない拡大をめざす消費社会ではなく、むしろ物資や製品は生産過剰に置かれている。その象徴の一つが商品の自己目的化であり、短期的に商品のバージョンアップを行い、使いもしない機能を付加して無理矢理需要を創出し資本を転回させるのである。(この発表では特に音楽産業と本の出版業の自己目的化についても指摘する。)また今日の情報と金融を中心としたグローバルな社会は冨をフラットに分散させてもいる。従ってこのような状況に「新自由主義」や「リベラリズム」の考えは社会的問題の解決にはたして有効な手だてなのだろうか。そのような疑問を示しつつさらに今必要なのは、フラットな関係による個と個を共有するあらたなコミュニケーションの創出であり、これを「自己共生成社会」と名付けることにしょう。それはどのようなことか、発表者の試みも紹介しつつ論じたい。

発表者:牛田あや美(京都造形芸術大学)
タイトル:外地を描いたマンガ
概要:本研究は、戦前・戦中における「漫画」のなかに描かれた当時の戦地・植民地であった“異国(外地)”の表象を明らかにするものである。戦前においての“異国”への旅、戦中では部隊とともに従軍している漫画家(挿絵家も含む)たちもいた。カメラマンだけでなく、画家や漫画家たちも従軍していることを鑑みると写真だけでなく「絵」も戦争のプロパガンダとして使用していたことは明らかである。戦時下における“異国”の表象を通し「漫画」の「絵」に描かれる物語、それに付け加えられる「文字」によって、戦時下の「漫画」を明らかにし、「漫画史」への布石となるべく新たな視座を目指す。それにより、いまだ闇となっている戦時下の「漫画」の歴史を明らかにしたい。例えば戦前の雑誌『少年倶楽部』を見ると中国人の少年が投稿している。読者は日本人だけでなく、植民地下の人々にもいた。戦時下、漫画家は翼賛体制に協力せねばならず、戦後彼らは公にそのことに触れることを避けてきた。アンタッチャブルな問題としてそのまま残されている。

以上
日本映像学会クロスメディア研究会
代表 李容旭
e-mail:lee@img.t-kougei.ac.jp
〒164-8678東京都中野区本町2-9-5
東京工芸大学芸術学部映像学科内


報告:会報第173号(2016年1月1日)12-15頁