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関西支部第87回研究会【6月15日】

2019/05/28 関西支部

日本映像学会会員各位

 

下記の通り日本映像学会関西支部第87回研究会を開催いたします。会員の皆様の参加をお待ち申し上げます。

日時:平成31年6月15日(土)午後2時より
会場: 花園大学 拈花館(ねんげかん)104教室

 

研究発表1:小栗康平による『伽耶子のために』の翻案
発表者:京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程 沈念(シン・ネン)会員

要旨:戦後から小栗康平の『伽倻子のために』が製作された1984年までに、在日朝鮮人を主要な登場人物として描いた映画のなかで、『にあんちゃん』(今村昌平、1959)『あれが港の灯だ』(今井正、1961)『キューポラのある街』(浦山桐郎、1962)の三作は典型的なメロドラマとされている。一方、大島渚の『日本春歌考』(1967)『絞死刑』(1968)『帰って来たヨッパライ』(1968)は、メロドラマに対抗する作品として評価されてきた。『伽倻子のために』はこの二項対立の延長線に置かれ、同時代の批評家からメロドラマと呼ばれてきた。
本発表の着眼点は、映画版『伽倻子のために』は失敗したメロドラマではなく、最初から前述した6本の映画とは一線を画し、人物および人物関係の抽象化と感情移入の阻害によって朝鮮人・日本人という二項対立を強調するわけでも崩壊させるわけでもなく、両者の「間」を描写していることを論証する。この「間」という位置こそが朝鮮人にも日本人にも完全に帰属できない在日朝鮮人の境遇を示し、彼らの悲哀と希望を象徴している。さらに、映画『伽倻子のために』が李恢成のほかの文学作品の人物設定やモチーフを大量に引用していることを分析する。こうした翻案のうえでの戦略は、李恢成の文学世界を間テクスト的に翻案しているだけではなく、日本人監督が在日朝鮮人作家の作品を翻案する際にしばしば陥るある種のオリエンタリズムという罠を回避し、在日朝鮮人作家の実際の回想を隅々まで埋め込むことによって、日本人監督による表象=代行のはらむ問題を浮き彫りにする試みであることを論証する。

 

研究発表2:作品発表 映像を用いたインスタレーションより
発表者:映像作家、大阪美術専門学校非常勤講師 東陰地正喜会員

要旨:私は年に1、2度、映像を用いたインスタレーション作品を発表しています。単一画面で完結する通常の映像作品も制作しますが、インスタレーションは、画面内では完結しえない空間性と「物」性がついてきます。

今回は、自分の過去の作品の中から、コンセプトと展示方法の意図が明確な、すなわち言語化しやすい3つの作品を紹介します。実際の展示の再現はできませんが、なるべくわかりやすく展示形態を説明しながら、制作意図や今後の課題についてお話ししたいと思います。

発表予定作品
f/g (2013) 3分。
窓に影絵が重なる映像が、表と裏(図と地)を入れ替えた形で左右2つのモニタに映し出されます。

虚像と実体の倒錯について。

運ぶ人/引き摺る男 (2014) 10分。
作中に登場する額縁(M300号)の中に白布を張り、額縁画のように壁に掛け、映像を投影します。

フレームの内外、虚実の関係について。

さかしま (2016) 5分。
水と草木をモチーフにした上下が不明瞭な映像を、鏡を用いて天井面に投影し、仰向けに寝転んで見上げます。

重力について。

 

 

〒604-8456 京都市中京区西ノ京壷ノ内町 8-1
花園大学

JR嵯峨野線「円駅」下車 徒歩8分
京都市バス26・205「太子道」下車 徒歩5分
アクセスマップ:https://www.hanazono.ac.jp/access.html
キャンパスマップ:https://www.hanazono.ac.jp/about/facilities/

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