第26回大会[2000年]報告

日本映像学会第26回大会
2000年6月10日‐12日
主催校:東京造形大学
実行委員長:波多野哲朗

 日本映像学会第26回大会は、6月10日、11日、12日の3日間、東京造形大学を会場として開催されました。ことしは例年よりも梅雨入りが早く、しかも本格的な雨降りの続く梅雨となりました。大会初日は辛うじて傘なしで過ごせたものの、2日目、3日目は終日の雨、参加者数が大幅に減るだろうと予測されました。しかし結果は正会員122名、一般3名、学生383名と予想を上回る多数の参加を得まして、大会は盛況裡に終了いたしました。また本大会は、研究発表者の数が23名にも及び、内容的にも極めて充実したものとなりました。会員諸氏の熱心なご参加、ご支援に対して、心からお礼を申し上げます。
 14年前の1986年、東京造形大学は第12回大会の開催を担当しましたので、今回が2度目の開催担当となりました。当時のキャンパスは現キャンパスから遠く離れた八王子城址の麓にありましたが、1995年に現在の土地に移転しました。ところで、いまこの2つの大会を振り返ってみますと、その間の14年ほどのあいだに、この国の映像状況が驚くほどの変貌を遂げていることに気付きます。たとえば、前回の大会の研究発表で使われた機器類と言えば、スライド・プロジェクターやオーバーヘッド・プロジェクターなどが中心でした。ところが今回の研究発表では、コンピュータ画面のプロジェクションが主流となっています。また研究発表のレジュメを眺めるとき、とくに新しいメディアについて使われている用語が、2つの大会の間で著しく変化していることに気付きます。これらはほんの一例に過ぎませんが、わずか14年の歳月に隔てられた二つの大会をめぐる映像状況のドラスティックな変貌には、隔世の感さえ覚えるほどです。そして現在もなお、私たちが映像について語るその環境や条件は、激しく変化し続けているように見えるのです。
 20世紀は、しばしば「映像の世紀」などと呼ばれてきました。たしかにそうかも知れません。少なくとも映像は、文化とテクノロジーの関係といういわば今世紀最大の問題の渦中にあって、両者が接しせめぎあう場として、つねに人びとの視線を集めてきたのですから。ところで、折しも日本映像学会第26回大会は、この「映像の世紀」がまさに幕を閉じようとする最後の年に開催されることになったのでした。そこで大会実行委員会としては、この偶然を一つの好機とみなし、出来れば本大会を、20世紀の映像についての反省的思考を深化する場としたいと考えました。「イメージ・リリース─20世紀の決着(おとしまえ)」といういささか気張った大会のテーマは、実はこうした問題意識を表現するものでした。
 20世紀が開幕するや否や、私たちの身辺に登場しはじめた映像は、たちまち生活や文化に深く根を降ろしました。人びとの欲望あるいは企みによって、あるいはそれらを超える自己増殖の力学によって、私たちの周辺にはさまざまな映像が溢れるようになりました。そしていまや映像は、私たちが生きる環境そのものとなったかにさえ見えます。一体この100年の間にいかなる変化が生じ、それは私たちにとっていかなる意味を持ったのでしょう。私たちはいま21世紀を目前にして、このイメージの桎梏から解放(リリース)されると同時に、イメージそのものを解放(リリース)しなければならない、と考えたのでした。
 大会の第1日(6月10日)は、午前中に学内見学が行われ、12時30分に開会しました。波多野大会実行委員長の開会の挨拶に続いて、白澤宏規東京造形大学学長が歓迎の挨拶を述べました。基調講演は中津良平氏(ATR知能映像通信研究所代表取締役社長)による「ネットワーク社会における生活と映像」。ネットワーク社会の進展によって起こるであろう生活スタイルの変化や価値の転換について話されました。つづいてシンポジウム「映像技術とリテラシー」では、パネリストとして唐澤英安氏(前ソニー・プロダクツ・ライフスタイル研究所所長)、森岡祥倫会員、加藤幹郎会員、それにモデレーターの波多野哲朗会員を加えた計4人が、1時間半にわたる議論を展開しました(基調講演、シンポジウムについては次号会報第113号にてあらためて報告致します)。
 最初の研究発表はグループA1「映像リテラシー教育」という枠組みで、小出正志、木下武志、長 篤志、熊谷武洋の4会員がそれぞれ研究発表をしました。司会は和爾祥隆会員。今大会では研究発表に関して、新しい方法を採用しました。それは送られてきた研究発表のレジュメをもとに、大会実行委員会が個々の発表内容を関連するテーマごとにとりまとめ、全体をいくつかの発表グループに分類したことでした。そして発表に際しては、個々の研究発表ごとの質疑応答の時間は設けず、1グループの研究発表がすべて終了した段階で、まとめて質疑応答やディスカッションをするように時間を設定したのでした。そうすることで個々の研究発表内容の相互関係の認識が容易になり、また比較的な検討も可能になるので、質疑応答がより活性化するであろうことを期待したからでした。またこの方法は、この大会のように研究発表の数が多数にのぼり、3会場での発表が同時に進行するような場合、個々の研究発表ごとに会場を移動する方法では混乱を招きやすく、頻繁な出入りによって発表者の集中力を削ぐおそれがあること。また移動のための時間の無駄を省きたいという現実的な要請に応えるものでもありました。
 研究発表が終わって、日本映像学会第27回通常総会が開かれました。これについては別の報告に譲りたいと思います。
 さて総会の終了を2台のバスが待ち受けていました。このバスは懇親会会場である”うかい鳥山”からやってきた送迎バスです。この大会ではエクスカーションを設定しませんでしたので、「懇親会はいくらかデラックスに」というのが実行委員会内々の心積もりでした。うかい鳥山は、高尾山系の奥深い谷間約6000坪の敷地に38棟の客室が点在する和風レストランです。五箇山のい合掌造りや加賀前田侯の茶室などを集めており、樹々の下には篝火が焚かれ、水車の音が聞こえるというなかなかの場所です。懇親会には大会開催の協力者も含め約100名が参加しました。会場はこれまでになく畳敷きの大広間に、椅子とテーブル。懇親会はかわなか大会実行委員の司会で始まり、松本俊夫日本映像学会会長、白澤宏規東京造形大学学長が挨拶。つづいて岩本憲児副会長による乾杯の発声で、賑やかな談笑が始まりました。ちょうど宴たけなわの頃、会場の明かりがすべて消されて、これから源氏蛍の観賞がはじまるとか。蛍もさることながら、幼年時代に戻ったかのようにはしゃぎつつ、ガラス窓に額をあてて必死に暗闇に目を凝らす会員諸氏の姿が印象的でありました。最後に竹内勲雄東京造形大学事務局長が挨拶。波多野実行委員長が今大会の関係者全員を紹介して懇親会を終了しました。雨が激しく降りはじめて、一同明日の大会が心配。
 作品発表は大会の第1日と第2日の2日間にわたり、2つの会場で行われました。相内啓司、風間正+大津はつね、鈴木良太郎、野崎悠子+鈴木正敏、野地朱真、藤原俊樹、ほしのあきら、村上佳明、吉川信雄、吉光純也、李 鎬山の各会員が作品を発表しました。
 大会第2日は雨降りとなりましたが、参加者の出足への影響は見られませんでした。終日研究発表が続きました。グループB1「ニューメディアの広がり」では、李 容旭、八文字俊裕、浅井敬三、沖 啓介の4会員が研究発表。司会は春口巌会員。グループC1「映像概念」では、三橋 純、坂本 浩、伊津野知多、野村康治、森山朋絵の5会員が研究発表。司会は太田 曜会員。グループB2「映像の意味形成」では、宇佐美昇三、黒岩俊哉、前川道博、飯村隆彦の4会員が研究発表。司会は井坂能行会員。グループC2「映像の受容(イデオロギー)」では、笹川慶子、ジェローム・F・シャピロ、森友令子の3会員が研究発表。司会は清水哲朗東京造形大学教授。グループB3「比較文化論」では、晏 尼、横田正夫、永冶日出雄の3会員が研究発表。司会は木村邦衛氏(東京造形大学)でした。
 研究発表がすべて終了したところで、閉会となりました。松本俊夫学会会長の挨拶のあと、春口巌大会事務局長が閉会のことばを述べました。春口事務局長は大会準備のために連日の徹夜続きで、ダウン寸前の状態。なお、研究発表と平行して2日間にわたって開かれていた作品発表も同時に幕を閉じました。
 第1日と第2日で日本映像学会大会の正式なプログラムはすべて終了したことになるのですが、これまでの学会大会では、慣例として第3日目にエクスカーションが行われてきました。今回の大会実行委員会でも当初の準備段階では、エクスカーションの可能性を模索してきました。しかし、映像学会の大会に相応しい対象がなかなか見当たらず、それならばいっそのこと、エクスカーションに代わるもっと有益な催しはないかという方向で検討を始めました。そしてその結果、本大会のテーマとも関わるような「20世紀の映像展」を開催することになりました。この映像展は・「映像芸術の世界」(6月11日上映)・「静止と運動:映像芸術の原点」(6月12日上映)・「20世紀・世界の記録」(6月10・11日上映)という3つのプログラムから成ります。・のサブ・タイトルは「美術家と映像芸術─アンディ・ウォーホルの場合」で、ウォーホルの代表作品の一挙上映です。・は「写真から映画へ(1)(2)」「絵画(美術)から映画へ:アニメーションの実験」「現代美術と映画:光・運動・空間」といったコンセプトのもとで、エドワード・マイブリッジから現代の実験映画まで、文字どおり20世紀の世界と日本の代表作を通観するものです。・・の構成はともに西嶋憲生氏。・は、各国の資料館から集められたニューズ・リールでした。
 第3日(6月12日)は一段と激しい雨降りとなり、さすがに会員の出足は衰えましたが、映像展をめがけて大勢の学生たちがやってきました。東京造形大学の学生ばかりでなく、いろんな大学の学生たちが来ていたのは喜ばしいかぎりです。これらのプログラムは、首都圏の上映会でも一挙には観賞することの出来ないものであったり、またその中には門外不出の作品も含まれています。日本映像学会大会ということで、特別に上映を許可して下さった横浜美術館、イメージ・フォーラム、世界映像資料館のご好意に感謝したいと思います。
 こうして3日間の大会は、無事終了しました。もちろんご心配やご迷惑をお掛けしたことは多々あるのですが、大方は寛大なお赦しをいただいたようです。ただその中で、今後も継続して検討すべき残された課題について、最後に2~3述べさせていただこうと思います。
 その1つは、研究発表における言語の問題です。じつは今回の大会で、英語を母国語とするある会員が、英語による研究発表を希望されました。そこで大会実行委員会は条件付で一度これを認めましたが、のち学会理事会の意向を受けてお断りしました。結果として発表者もとりあえず当方の意向を受け入れたので事件とはなりませんでした。しかし問題が真に解決した訳ではありません。当の発表者もまたそう考えておられるようです。今後のためにも、この問題を検討しておく必要があるようです。
 その2は、大会の情報伝達に関する問題です。今大会に関する実行委員会から会員向けの情報発信は、ホームページやメールでは比較的早めに行われましたが、印刷物の発送はつねに遅れがちでした。そのためしばしばお叱りを受けたりもしました。おそらく現在は情報伝達の方法が過渡期にあるために二重性を強いられるのでしょうが、いずれにせよ学会内の公的なコミュニケーション・ルートについては、一定のコンセンサスが必要と思われます。
 その3は、本大会で試験的に採用した研究発表の方法の是非についてです。肯定的な意見としては、「個々の研究発表相互間の位置関係が見えるようになって面白い」など、先に述べた委員会の意図に近いものもあるのですが、一方「他の学問領域のような客観的な基準もない映像学で、自分の研究が恣意的に分類されるのは迷惑」といった否定的な意見もあります。さらに検討を続ける必要があるようです。

(執筆・記録:波多野哲朗/会報第112号より)

<第1日>
基調講演「ネットワーク社会における生活と映像」
中津良平((株)ATR知能映像通信研究所)

シンポジウム「映像技術とリテラシー」
パネリスト:唐澤英安・森岡祥倫・加藤幹郎
モデレーター:波多野哲朗

研究発表
小出正志「アニメーション教育に関する一考察」
木下武志「3次元コンピュータ・アニメーションとベーシック・デザイン-映像構成に求められる基礎実習課題の提案-」
長 篤志「3次元コンピュータ・アニメーションにおけるタイミングの定量的ディレクション支援システム」
熊谷武洋「状況論的アプローチによるアニメーション教育手法について」

研究発表<第2日>
李 容旭「電子メディア時代における映像芸術の変容─1968年「サイバネティック・セレンディピティCybernetic Serendipity 展」を中心に─」
八文字俊裕「” 豊かなCG映像時代 ” 到来の予兆「夢百年祭CGグランプリ99 in Aizu」を終えて」
浅井敬三「20世紀の海外テレビCM」
沖 啓介「ヴァーチャル・リアリティーと教育Building Virtual Worlds」
三橋 純「写真の境界「写真-非写真」をめぐる考察」
坂本 浩「映像概念の成立過程─19世紀後半から20世紀前半にかけて」
伊津野知多「映像の再現的現実性について」
野村 康治「「映像」概念について(II)─「映像」らしさに関する検討」
森山朋絵「日本の公立映像文化施設における映像展示について」
宇佐美昇三「映画編集に関する一考察─内田精一の著作をもとに」
黒岩俊哉「スクリプティングによる映像表現の可能性と教育」
前川道博「ビデオ静止画自動抽出データベースの活用に関する考察」
飯村隆彦「マルチメディアとビデオの記号学」
笹川慶子「第二次世界大戦中のミュージカル映画における黒人表象とイデオロギー」
ジェローム・F・シャピロ「黒澤、原爆、老い、美学、「日本映画研究」の病理学─あるいは政治的不公正さによって己の職業的人生をわざとダメにすること」
森友令子「ファッション写真における写真家の視線」
晏 女尼「戦後日本における中国映画の受容─1950年代から文化大革命まで─」
横田正夫「日本と外国アニメーション・キャラクターの比較」
永冶日出雄「欧州連合視聴覚政策=MEDIA行動計画第二次(1996 – 2000)と多国籍劇映画の製作および配給-事例研究『パーフェクト・サークル』・『ザ・クラウド』 を含めて-」

<作品発表>(第1日・第2日)
相内啓司「REPRESENCE/-273℃ Vol.1,2,3,4 absolute zero of temperature in the represence」
風間 正 + 大津はつね(VISUAL BRAINS)「Dé-Sign11(Flow)」
鈴木良太郎「DanceCanonica2000」
野崎悠子 + 鈴木正敏「マルチメディアによるドキュメンタリー構成─日本映像学会第25回大会を記録する─」
野地朱真「モーション生成システムを利用した体験型空中サーカス」
藤原俊樹「襟裳岬「風の館」展示映像(1)えりも風土記 (2)はじめに風ありき」
ほしのあきら「閉じた眼」
村上佳明「Windowsプラットフォームにおける外部入出力装置の導入-インタラクティブアートの試み-」
吉川信雄「映像彫刻のためのシステム」
吉光純也「教育の現場における映像と音のコラボレーション─両分野を個人で制作した学生作品の比較─」
李 鎬山「My Way – 韓国舞踊に生きる」

<20世紀の映像展>
・「映像芸術の世界」(6月11日上映)
◆美術家と映像芸術─アンディ・ウォーホルの場合─
『キス』(1963、54分、18コマ映写)
『スリープ』(1963、42分、18コマ映写、オリジナル6時間より抜粋)
『エンパイア』(1964、42分、18コマ映写、オリジナル8時間より抜粋)
『ヴィニール』(1965、64分)
『ロンサム・カウボーイ』(1967-68、110分)

・「静止と運動:映像芸術の原点」(6月12日上映)
◆写真から映画へ
『エドワード・マイブリッジ、ゾーアプラクソグラファー』(トム・アンダーセン、1976、60分)
『ラ・ジュテ』(クリス・マルケル、1962、28分、英語字幕版)
『石の詩』(松本俊夫、1963、30分)
『LE CINEMA・映画』(奥山順市、1975、5分)
『オランダ人の写真』(居田伊佐雄、1976、7分)
『スイッチバック』(かわなかのぶひろ、1976、9分)
『フィルム・ディスプレイ』(瀬尾俊三、1979、7分)
『SPACY』(伊藤高志、1981、10分)
『BOX』(伊藤高志、1982、8分)
◆絵画(美術)から映画へ:アニメーションの実験
『ラジオ・ダイナミクス』(オスカー・フィッシンガー、1943、4分)
『線と色の即興詩(ブリンキティ・ブランク)』(ノーマン・マクラレン、1955、5分)
『ラピス』(ジェイムズ・ホイットニー、1966、10分)
『トリックフィルム3.』(ジョージ・グリフィン、1973、5分)
『驚き盤』(古川タク、1975、5分)
『フランクフィルム』(フランク・モリス、1973、9分)
『STONE』(相原信洋、1975、10分)
『優しい金曜日』(田名網敬一、1975、3分)
◆現代美術と映画:光・運動・空間
『A MOVIE』(ブルース・コナー、1958、12分)
『フリッカー』(トニー・コンラッド、1966、30分)
『コリドー(廊下)』(スタンディッシュ・ローダー、1969-70、24分)
『ヴォルフ・カーレン作品集』(1971、25分/シーツをかけた椅子、自己実験2.、不法侵入、7月4日-10日の1週間、同化、自己実験4.、水の影)

・「20世紀・世界の記録」(6月10・11日上映)
各国資料館ニューズ・リール

以上