日本映像学会アジア映画研究会(第7回)開催のお知らせ【12月5日】

2018/11/15 アジア映画研究会

日本映像学会アジア映画研究会(第7回)開催のお知らせ
アジア映画研究会(第2期第7回/通算第26回)を下記のとおり開催します。

日時:2018年12月5日(水) 18:00-20:00
会場:国際交流基金・御苑前オフィス7階アジアセンター(702-703会議室)

〒160-0004 東京都新宿区四谷4-16-3-7F(建物名:川辺新宿御苑前ビル)
(東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅 2番出口 から徒歩8分)
アクセスマップ https://www.jpf.go.jp/j/access/map.html

内容:
中国映画の「戦後」--空間と時間をめぐる再考
韓燕麗

第二次世界大戦が終わった後、数年のうちに数多くの中国映画人が上海や旧満州から香港へ移動し、北京語映画を香港の地で製作しはじめた。これまで一般的に、戦時中に日本の国策映画会社に協力した責任への追及を回避するため、または共産党政権への嫌悪から映画人は大陸から香港へ移ったと理解されてきた。しかし当時の香港は大陸から完全に断絶された楽園などではなく、むしろその先の数年での中国への返還を心配される、不安に満ちた場所であった。
一方の中国は1945年の第二次世界大戦・日中戦争、そして1949年の内戦のと、その短い間に「戦後」を二度も経験していた。当時の香港にいた映画人にとって、そのタイムスパンの長い「戦後」は、終わったばかりの戦争が残した敵国協力問題への清算と、直後のもう一つの戦争がもたらすイデオロギーの取捨選択の問題という、二つの難問に同時に直面せねばならないことを意味した。その長く苦渋に満ちた「戦後」処理のプロセスは、中国映画史そして中国映画の銀幕にいかなる痕跡を残したのだろうか。また、今日の香港映画は戦前の上海映画が持つ娯楽至上主義の大衆文化としての性格を受け継いだものだと、もう一つの中国語映画史において一般的に理解されてきた定説があるが、われわれは「継承」という極めて分かりやすい言葉で戦後の苦難に満
ちた再建の過程を安易に捉えすぎてしまっていないだろうか。
こうした中国語映画史における大きな問題について考えるため、本発表は上海から香港へ南下した女優の中でも、最も多くの作品に出演し、同時に圧倒的な影響力を有した李麗華にスポットライトを当てる。当時の新聞や映画雑誌を通じて戦後における彼女の足跡を追いかけながら、現存する彼女が主演した多種多様な北京語映画を分析することによって、中国映画の「戦後」について再考する。

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ご参加についていくつか注意点がございます。

 <19時までにご来場の方>
 御苑前オフィスビルの正面玄関からお入りいただき、直接7階アジアセンターフロアまでお越しください。

 <19時以降ご来場の方>
 19時以降はビルが施錠されます。今回は19時以降のご来場は対応できませんので悪しからずご了承ください。

 <出欠について>
国際交流基金の会場の都合で、前日までに参加者全員のお名前と、所属・役職(または職業)を報告する必要があります。参加をご希望の方は「調整さん」でおこないますので、下記のサイトへ行き、「出欠を入力する」をクリックしてください。

https://chouseisan.com/s?h=fe98af4ee8b94912a4a7e2aada4fc42b

「表示名」にお名前と、コメント欄に所属・役職(または職業)を入力、○(出席)△(不明)×(欠席)のいずれかを選ぶ。最後にコメントがあれば入力してください。
出席の方は、前日12/4(火)18:00までにお願いします。

以上