写真研究会 2022年 第9回研究発表会開催のお知らせ【11月23日】

2022/11/13 写真研究会

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日本映像学会  写真研究会
2022年 第9回研究発表会開催のお知らせ
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日本映像学会会員各位

写真研究会の研究発表会を、新型コロナウイルス感染拡大防止のため下記のとおりオンラインにて開催致します。皆様のご参加をお待ちしております。

日本映像学会写真研究会
代表  佐藤守弘

【日時】
2022年11月23日(水・祝) 18:00開始 20:30終了予定(日本時間)*オンラインによる開催。

【参加方法】
*事前申し込み制
会議システムzoom を利用して開催いたします。下記URL にあるフォームから事前にお申し込み下さい。
いただいたメールアドレスにzoom のID とパスワードをお送りいたします。
申し込みURL https://forms.gle/b2eE8Zuvh1qnWkYCA

【発表 ・発表内容・座談会】
発表1
「物質としての肉体:中平卓馬と写真家論」
ダニエル・アビー(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校大学院美術史科博士課程)

座談会
「ゲルハルト・リヒター展(東京国立近代美術館/豊田市美術館)を語る」
司 会:土屋誠一(沖縄県立芸術大学)
登壇者:中村史子(愛知県美術館)、橋本一径(早稲田大学)ほか

【研究発表の要旨】
発表1
「物質としての肉体:中平卓馬と写真家論」
ダニエル・アビー(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校大学院美術史科博士課程) 

写真史は主に、「写真とは何か?」という存在論的な問いを続けてきた。本発表において重視することは「写真」という客体ではなく、「写真家」という主体である。したがって本発表では、写真史的な考察に際して存在論ではなく現象学という別の方法論を提案したい。通例、主体への関心は、脱政治的な論拠となりがちである。しかし中平卓馬(1938−2015)の作品を例示するならば、写真家という主体を論ずることの政治性が明るみに出るであろう。

現象学は人間の肉体的な感覚を研究する手法である。60年代以降、現象学は美術史の一つの方法論として認められてきており、作品を見る鑑賞者との関係について問う手段として扱われてきた。その場合現象学の方法論的な適用は、鑑賞者と作品の間に生まれる意味という範囲を超えることはない。しかし、現象学というのは意味だけではなく、世界と肉体の関係そのものについて考究し、いかに肉体的な感覚が「外部」あるいは「他者」と絡んでいるかを示すものでもある。そうであるならば、現象学は政治的な側面も持ちうるであろうか。

現象学的に考えれば、写真家はあくまで肉体的な主体である。『プロヴォーク』1号で中平と多木浩二が「言葉がその物質的基盤、要するにリアリティを失」っていると語ったのはよく知られていることである。ところが、言葉の安定性がなくなれば、どんな物質が代わりに現れるだろうか? 本発表では肉体そのものが立ち現れると主張する。中平や多木は、肉体について考えるのに伴って、積極的に写真家そのものを考えるようになっていく。

当時、『プロヴォーク』で現象学者のメルロー=ポンティを引用したのも、偶然ではないように思われる。実際に、60年代後半において肉体というのは政治的な意味を持っていた。日向あき子が唱えた「肉体的思考」が示しているように、肉体は反文化的な可能性を持っていることが学生運動から李禹煥に至るまで通用していた。「プロヴォーク」の政治性は「1968年」に関連があるとよく指摘されるが、運動よりも肉体への関心にあったのではないかと思う。

この政治的な肉体が中平の『プロヴォーク』2号で発表された作品にも現れている。これら10枚の写真は世界と肉体の間を仕切れない境界線そのものがインデックスされている。いかに肉体が物質として言葉と交代しても、肉体そのものには内面的な同一性がない。しかし写真を通じて、世界と肉体との曖昧な、ブレた関係性が浮かび上がるのである。本発表では、中平の肉体的な写真と歴史の共振を分析しながら、写真史の新たな方法論の提案を試みる。

座談会
「ゲルハルト・リヒター展(東京国立近代美術館/豊田市美術館)を語る」
司 会:土屋誠一(沖縄県立芸術大学)
登壇者:中村史子(愛知県美術館)、橋本一径(早稲田大学)ほか

今年の6月から10月初頭まで東京国立近代美術館で行われた「ゲルハルト・リヒター展」は多くの観客を集めて閉幕し、現在では豊田市美術館に会場を移して来年の1月まで開催される予定である。リヒターの作品を集めた回顧展としては、2005年から06年にかけて金沢21世紀美術館と川村記念美術館で行われて以来ということで、今回の展示には、開催前から大きな期待が寄せられていた。また、今回の展示には、ここ10年以内に制作された作品——写真プリントに油絵の具を塗った〈オイル・オン・フォト〉シリーズなど——が多く展示され、彼の旺盛な制作活動を強く印象付けた。

リヒターは、大まかには画家として位置づけられる芸術家であるが、1960年代の〈フォト・ペインティング〉から、近作の〈オイル・オン・フォト〉まで、写真と絵画の境界を融解させるような作品が多く見られるのは周知のことであろう。またプライヴェートな写真やファウンド・フォトを張り交ぜた〈アトラス〉シリーズも思い起こされる。さらにはガラスなどの反射を利用したさまざまな作品は、根元的な意味で映像的な作品であるとも言えよう。もちろん、今回の展覧会の話題の中心であった4点の絵画《ビルケナウ》は、アウシュヴィッツ第2収容所(ビルケナウ)で隠し撮りされた4枚の写真が秘められている。

今回の写真研究会では、このように写真イメージと絵画を往還する——《ビルケナウ》の写真複製も展示されていたことも思い起こそう——リヒターと、その大回顧展を議論の俎上に挙げた座談会を企画した。問題を提起するのは、キュレーターとして自らも写真の枠を超えるような展覧会を数多く企画してきた中村史子と、先述の4枚の写真について書かれたディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』(平凡社、2006)の日本語訳を手掛けた橋本一径の両名である。そこで提起された問題を巡って、土屋誠一の司会のもと、自由に討議を繰り広げたいと考えている。
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以上
日本映像学会写真研究会
代表 佐藤 守弘
同志社大学文学部
〒602-8580 京都市上京区今出川通烏丸東入