2016/05/06 関西支部
日本映像学会関西支部第78回研究会(5月14日)開催のお知らせ
下記の通り日本映像学会関西支部第78回研究会を開催いたします。会員の皆様の参加をお待ち申し上げます。
日時:平成28年5月14日(土)午後2時より
会場:花園大学 拈花館(ねんげかん)104教室
研究発表1:痙攣する「白いボディコンスーツの秘書」 ――押井守監督『トーキング・ヘッド』(1992年)にみる俳優とアニメーション・キャラクター、それぞれの身体の描写
The depiction of human figures in Mamoru Oshii’s Talking Head
発表者:松野敬文会員 関西学院大学
要旨:『トーキング・ヘッド』(1992年)は、押井守(1951-)監督3作目の実写映画である。劇場アニメの制作途中で失踪した監督、丸輪零の代役として雇われた「私」が、制作スタジオを舞台にした連続殺人事件に巻き込まれる、という内容の同作では3本の短編アニメが劇中劇として挿入される。
「押井映画イズムの集大成」(『PERSONA』)であるこの作品は、主にその「物語批判とメタフィクションのスタイル」(上野俊哉)において賞賛を受けてきた。だが、先行研究は主にダイアローグの分析に終始しており、「映っているもの」(蓮實重彦)に対する検討は十分になされていない。
本発表は、『トーキング・ヘッド』を特に俳優とアニメ・キャラクター、それぞれの身体の描写に注目しながら読み解いていく。例えば、「私」がプロデューサーの待つ車内へと歩みを進めていくショット(シーン2、カット1)では、車両の横に秘書の女性が立っている。「待ち受けている下品なアメ車/白いボディコンスーツの秘書/SMOKEあり」と、絵コンテ上に記されたこの場面では、秘書はその身体を小刻みに震えさせ、今にも倒れそうな様子をみせる。勿論、秘書のこの痙攣を役者の演技力不足、撮影上の瑕疵と受け取ることも可能であろう。しかし、痙攣する身体というモティーフは劇中の線画アニメ「作画監督大塚の告白」(シーン25)においても、繰り返されるものである。
以上のような検討をもとにして、本発表が提示する結論は、以下の通りである。押井守は『トーキング・ヘッド』において、俳優とアニメ・キャラの身体を対置させることにより実写のみ、あるいはアニメのみでは実現しえない、総合体としての「〈映画〉」(『絵コンテ集』)の実現可能性を探っている。その試みは完全に成功したとは言えないものの、同作に独自の効果をもたらしている。
研究発表2:日本映画と「読み手」の論理――溝口健二映画を中心に
発表者:長門洋平氏 国際日本文化研究センター技術補佐員
要旨:わが国における映画学/映画批評の方法論は多岐にわたるが、本発表では「表層批評」や「テクスト分析」といった概念を軸にその現在性を再考してみたい。映画を「読む」ことの創造性と実証主義はどのように関係するか、作品を「作る」のは作者なのか観客なのか、といった大きな問題系を念頭におきつつ、具体的には溝口健二映画を例に、あり得べき「読み手」の可能性について検討する。「われわれは対象について語っていると信じがちだが、逆に見(語)ることがその対象をシステマティックに形成する」(宮川淳)との論理がいまなお一定の存在感を有するとすれば、いま我々はいったい何について語っているのか。そして、「イメージの背後には何もない」(松浦寿輝)のテーゼが現在の映画研究においても有効性をもつならば、我々はいったい何を明らかにしようとすることができるのか。しばしば「日本的」とも評される溝口映画のスタイルを再考すると同時に、映画を見たり聴いたりすることの学術的な意義についての問題提起をおこないたい。
[会場アクセス]
花園大学 〒604-8456 京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1 TEL:075-811-5181(代)
JR嵯峨野線「円町駅」より徒歩8分 または 市営地下鉄「西大路御池駅」より徒歩12分
京阪「京阪三条駅」下車 市バス61、62、63、64、65系統(約30分乗車)「西ノ京馬代町(花園大学前)停留所」下車 徒歩2分
阪急「西院駅」下車 市バス26、特27、27、91、202、203、205系統(約10分乗車)「太子道停留所」下車 徒歩5分
阪急「四条大宮駅」または「四条烏丸駅」下車 市バス26、91、203系統(約30分乗車)「太子道停留所」下車 徒歩5分
http://www.hanazono.ac.jp/about/campusguide/access
以上
日本映像学会関西支部事務局
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大阪芸術大学映像学科内
Tel: 0721-93-3781(内線3327)