写真研究会 2021年 第7回研究発表会開催のお知らせ【11月7日】

2021/10/22 写真研究会

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日本映像学会 写真研究会
2021年 第7回研究発表会開催のお知らせ
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日本映像学会会員各位

写真研究会の研究発表会を、新型コロナウイルス感染拡大防止のため下記のとおりオンラインに
て開催致します。皆様のご参加をお待ちしております。

日本映像学会写真研究会
代表 倉石 信乃

【日時】
2021年11月7日(日) 15:00開始 18:30終了予定(日本時間)*オンラインによる開催。

【参加方法】*事前予約制 会議システムzoom を利用して開催いたします。下記URL にあるフォームから事前にお申し込み下さい。いただいたメールアドレスにzoom のID とパスワードをお送りいたします。
登録期限は11月6日(土)12:00 までとさせていただきます。
申し込みURL
https://forms.gle/Lzaqv5QWLf56wQZs6

【発表者・発表内容・座談会】
発表1
「1920―30 年代の「寫眞工藝」における「プロセス」の研究―日本寫眞美術展覧会と『フォトタイムス』「寫眞工藝欄」をてがかりに―」
芦髙郁子(京都工芸繊維大学博士後期課程/京都市立芸術大学非常勤講師)

発表2
「肖像権、プライバシーと写真―撮られることの恐怖について」
高橋倫夫(早稲田大学文学研究科修士課程)

座談会
「展覧会『鷹野隆大 毎日写真1999-2021』(国立国際美術館)について」
ゲスト:鷹野隆大(写真家)
司会:中村史子(愛知県美術館)
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【研究発表・座談会の要旨】
発表1

「1920―30 年代の「寫眞工藝」における「プロセス」の研究―日本寫眞美術展覧会と『フォトタイムス』「寫眞工藝欄」をてがかりに―」
芦髙郁子(京都工芸繊維大学博士後期課程/京都市立芸術大学非常勤講師)

 1930年4 月、雑誌『フォトタイムス』第7巻第4号に「寫眞工藝欄」が新設された。同雑誌の編集主幹であった木村専一は寫眞工藝欄の新設について「更に擴大されたる寫眞の分野を覗く事が出来るであらうことを、吾々は信ずると同時に、あまりにも顧みられなかつた寫眞工藝の天地に一脈の溌溂さを添加し、進んで寫眞工藝家の進出と輩出とに何等かの刺戟とならんことを希ふものである」と述べている。
 木村の意味するところの「寫眞工藝」という語が使われ出したのは、「日本寫眞美術展覧会」においてである。日本寫眞美術展覧会は、1926 年に発足した公募制の展覧会であった。第1回の日本寫眞美術展覧会では、「第一部藝術寫眞」と「第二部寫眞工藝」に部門分けされ、1926 年1月3日付の『大阪毎日新聞』の開催告知広告では、第二部の欄に「学術、記録、其他一般、特殊写真」と記載されている。このことからも、第二部寫眞工藝が、実用的な写真や、芸術写真には数え入れることのできない種々の写真を射程に入れていたことがうかがえる。
 第二部寫眞工藝の設立を任されたのは、鈴木陽という人物である。鈴木陽は、陸軍技術本部技師であり、日本写真学会の前身である東京写真学会の創設メンバーでもあった。『フォトタイムス』に新設された「寫眞工藝欄」の第一回目には、この鈴木の書いた「寫眞工藝の發展の道」という記事が掲載されている。同記事で鈴木は、写真における「複製」の機能を評価し、一枚の美術的油絵よりも数千枚の印刷の方が社会的価値があるとさえ述べている。
 鈴木はポスター印刷や映画、器物への写真転写、天然色写真を含めた広い範囲を寫眞工藝とし、この「寫眞工藝欄」の設立意図について、「藝術論を振り翳す前に技術的に研究し、其の特別の技巧を先づ獲得せねばならぬ」と述べ、続けて「吾人は先づプロセスの研究に入らねばならぬ、それには本欄に於てプロセスの概念を吹き込んで貰ひたい、而して其の概念から讀者はプロセスの真髄を掴んで寫眞工藝品をでっち上げて貰ひたい」とし、「プロセス」の研究を重要視した。鈴木が用いた「プロセス」という語は、写真製版術自体を意味すると共に、技術的な方法や手順、歴史的な過程をも意味するものであったと考えられる。
 1926 年から30 年まで計5回開催された日本寫眞美術展覧会では、淵上白陽が編纂した『日本写真美術年鑑第一年版』と、フォトタイム社から出版された『日本写真美術年鑑昭和三年度』、『日本写真美術年鑑昭和四年度』、『日本写真美術年鑑昭和五年度』の計4冊が年鑑として刊行され、公募展覧会の概要や受賞作品、審査員の評論が掲載されている。
 本発表では、この4冊の年鑑から、日本寫眞美術展覧会における第二部寫眞工藝の動向を分析するとともに、雑誌『フォトタイムス』の「寫眞工藝欄」を調査対象とし、鈴木の述べる「プロセス」の研究がいかなるものであったのかを考察する。

発表2
「肖像権、プライバシーと写真―撮られることの恐怖について」
高橋倫夫(早稲田大学文学研究科修士課程)

 フレーザーの『金枝篇』はじめ、19世紀後半から20世紀初めの民族誌には、写真に撮られると「魂を奪われる」という先住民の話が数多く登場する。わが国でも写真到来以後、撮影により「寿命が縮む」と言われることがあり、現代人にも無断の撮影を嫌悪する心理がある。本発表では、このように様々な形でみられる写真にまつわる恐怖について、19世紀末以降の欧米における肖像権やプライバシーをめぐる議論を通じて考察する。
 ダゲレオタイプ発表直後には、監視や覗き見につながるとして早くも写真に懸念を表明する者があった。日本でも幕末や明治初年には、肖像写真は当人の身代わりとみなされることがあった。そして19世紀末の欧米では、写真の普及に伴う新たな問題が認識されつつあった。
 当時は露光時間の短縮、カメラの軽量化などの技術革新により、スナップ写真や盗み撮り・隠し撮りなどが行われ、肖像写真を無断で使用する事例が相次いでいた。スキャンダラスな話題をセンセーショナルに取り上げる大衆的な新聞の普及もそうした傾向に拍車をかけた。そうした状況に対して欧米諸国では、自己の像を法的に保護すること、つまり今日で言う肖像権が主張され始めたが、本発表ではそうした肖像権をめぐる初期の動向について検討していく。
 肖像権に相当するものは、アメリカではプライバシー権の問題として扱われ、1890 年にその嚆矢となる論文が発表され、ドイツでも1895 年にはじめて「自己の像に対する権利」が主張された。
 こうしたなか米ニューヨーク州で、広告での肖像写真の無断使用事件がおき、これをきっかけとして1903年同州で法律が制定された。ドイツでは19世紀末から論争があり、1907年制定の法律で、本人の同意を得た場合に「頒布または公に展覧」できるとされた。こうして米独で立法措置がとられるが、どちらも公開や使用には同意が必要とするものの、撮影自体には制限を設けなかった点で、今日一般に考えられている肖像権とは異なる面がある。
 当時は撮影そのものはさほど深刻な問題と考えられず、好奇心と積極性をもって撮影に応じた例も多いのに対し、むしろ望まない公開や流布に対する恐怖の方が顕在化していたものと思われる。一方で現代では、撮影の際に本人の承諾を得るのが当然であると考えられ、撮影自体も本人の許可を求める傾向がある。それは技術的進歩に伴い、撮影が簡便に、複製や頒布が容易になるにつれて、撮影と公開は直結するものと認識されたためではないだろうか。その結果時代が下がるにつれて、撮影を以前にもまして警戒するようになっていったと思われる。本発表では、公開や流通により引き起こされる写真への恐怖について検討するにあたり、19世紀末から20世紀初頭にかけて、どのように“肖像権”が提起され論じられていたかを見ていきたい。

座談会
「展覧会『鷹野隆大 毎日写真1999-2021』(国立国際美術館)について」
ゲスト:鷹野隆大(写真家)
司会:中村史子(愛知県美術館)

 2021 年、大阪の国立国際美術館にて写真家、鷹野隆大の大規模な個展「毎日写真 1999-2021」が開催された。鷹野は、脱衣の男性を写した「ヨコたわるラフ」シリーズで注目を集め、ジェンダーを撹乱する写真集『IN MY ROOM』で木村伊兵衛賞を受賞した。本展はそれら代表作も展示されるが、彼が1999 年から撮影し続けている「毎日写真」に主に焦点が当てられている。「毎日写真」は文字通り、彼が日々の生活を撮影したスナップ写真のシリーズである。本展では、セクシャルな要素を備えたポートレートが、これら淡々とした「毎日写真」と併置され、また別の様相を見せている。また、「毎日写真」シリーズから派生する形で、「カスババ」シリーズなど別のシリーズが生み出されている点も、特記に値する。
 さて、日課のように続けられてきた「毎日写真」であるが、2011年の東日本大震災頃を契機に撮影対象が変化し、地面に落ちる影を撮った写真が増え始める。これら震災後に撮影された影について、新城郁夫は、社会の歪みや崩壊から逃走する姿を重ね合わせて論じている。実際、人と影の主従が逆転したイメージ(画面の上半分に影、下半分に人、など)は、見るものの不安を強く掻き立てる。
 ところが、影について探求するうちに、彼の作品はさらに別の展開を見せる。例えば、「Green Room Project」は、鑑賞者の影を一定時間、蓄光シートに残す試みであり、鑑賞者の能動的な参加が必要となる。その仮設的でパフォーマティヴな傾向は、影の厳密な採取、定着とは大きく性質が異なっている。また、写真の原理にまつわる歴史と言説の上にありながら、その重さをあまり感じさせない点も特徴的だ。
 座談会では、鷹野隆大本人を特別ゲストとして招き、展覧会で明らかになった表現の変遷や一貫して看取されるものについて、ともに検討する予定である。また、彼の活動を考察する中で、日本の写真表現の系譜をいかに引き継ぎ更新しうるか、その手がかりも、浮かび上がるのではないだろうか。本座談会が、研究会の参加者も含めた活発なディスカッションの場となればと考えている。
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以上
日本映像学会写真研究会
代表 倉石 信乃
明治大学理工学部
〒214-8571 川崎市多摩区東三田1-1-1