会員からの寄贈本のご紹介
タイトル |
これからのメディア論 |
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著者 | 大久保遼会員 |
発行所 | 有斐閣 |
発行日 | 2023年1月20日 |
紹介文 | 本書は、コロナ禍の経験を踏まえて書かれたメディア研究の新しい教科書である。類書が膨大で、また日々更新されていくこの分野にあって、本書の特徴は以下の点にある。(1)2010年代以降の英語圏の研究を全面的に導入していること、(2)ソフトウェア研究、メディアの物質性、メディアと環境の連環の3つの視点を重視していること、(3)上記の視点を踏まえた上で、1970年代から2020年代の日本のメディア史を記述していること、である。総じて、メディアの知識や歴史を学びながら、時代ごとに移り変わるメディア論の視点が習得できるよう工夫を行った。またもう一つの大きな特徴として、Webサポートの充実を挙げることができる。YouTubeで閲覧可能な動画と解説を中心としたサポートは、書籍に匹敵するかそれ以上の情報量があり、独学者の理解を深めるだけでなく、授業で紹介する資料として活用することもできる。本書は新型コロナウィルスの世界的なパンデミックのなかで、メディア研究に何ができるか、著者なりにあがいた結果でもあり、それが有効かどうかは読者諸賢の判断に委ねたい。映像メディアについても、写真や映画、テレビ、ネットフリックス、TikTokまで豊富に取り上げている。ChatGPTの登場により、本格的にスクリーン以外のインターフェイスの重要性が増すことが予感される今は、映像の歴史を振り返る好機と言えるかもしれない。(大久保遼) |
タイトル |
混乱と遊戯の香港映画 |
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著者 | 雑賀広海会員 |
発行所 | 水声社 |
発行日 | 2023年3月20日 |
紹介文 | 本書は、ジャッキー・チェン、ツイ・ハーク、ジョニー・トーという三人の映画監督(俳優)が生みだした作品を通じて、黄金期を謳歌した1980~90年代の香港映画産業の興亡を解き明かそうとするものです。この時代の香港映画については、すでに作家論・ジャンル論・産業論といった観点から研究されています。それにたいして、本書独自の試みと言えるのは、先の三人が映画の物語世界とどのように向きあっていたか、つまり、カメラの前後の境界線を鍵概念として、個々の作品分析から黄金期香港映画の特徴を浮き彫りにしようとしたことです。したがって、各章の議論は作家論や作品論になっていますが、全体を俯瞰して見たときには産業論となるように構成しました。そして、この時代の香港映画産業が映画史上で特異な時期にあるとすれば、それは何に起因するのか。本書はそれを「混乱」と「遊戯」に見定めました。混乱とは、1970年代までは健在であった、監督と俳優を封建主義的な父子関係に置くことを基盤とするスタジオ・システムが1980年代になって崩壊し、両者が無秩序にいり乱れる状態を指します。一方の遊戯とは、香港映画人がこの無秩序の混乱状態と戯れ、それを享受していたことを意味します。混乱と遊戯が黄金期を特徴づけるものであるとすれば、香港映画の独自性はけっして植民地といった外在的な政治性だけに見いだされるものではなく、映画製作の問題でもあります。(雑賀広海) |
タイトル |
ロードムービーの想像力―旅と映画、魂の再生― |
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著者 | ニール・アーチャー 、翻訳:土屋武久会員 |
発行所 | 晃洋書房 |
発行日 | 2022年12月10日 |
紹介文 | 何かの事情で(あるいは何の事情がなくとも)主人公が旅する姿を描いた映画が、ロードムービーです。最近ですと新海誠監督『すずめの戸締まり』なども、ロードムービーと呼べそうです。 これまでの通説としては、『イージー・ライダー』を嚆矢とし、対抗文化の波に乗って、主にアメリカで成立・発展したジャンルと考えられてきました。しかし、本書はその事実を認めつつも、単線的な立論を斥けます。すなわちもっとグローバルな視座に立ち、旅がもたらす魂のゆらぎをさまざまに論じます。北野武監督『菊次郎の夏』、アニエス・ヴァルダ監督『冬の旅』、ヴィム・ヴェンダース監督『都会のアリス』がとりあげられるのも、この理由からでしょう。さらに筆者は、近年の「ボーダー・フィルム」や「SF版ロードムービー」を論じ、ロードムービーの新たな可能性を探ろうとします。たまらなくスリリングな内容です。 翻訳者は本来、出しゃばらず、黒子に徹しなければなりません。なのに今回は、著者が立つ舞台の袖で、ついつい独り言ちている自分に気づかされました。翻訳者としてはどうかと思いますが、それだけに思い入れ深い一冊に仕上がりました。多くの方にお読みいただければ幸いです。(土屋武久) |
タイトル |
混淆する戦前の映像文化 幻燈・玩具映画・小型映画 |
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著者 | 福島可奈子会員 |
発行所 | 思文閣出版 |
発行日 | 2022年12月25日 |
紹介文 | 本書は、これまでほとんど光が当てられることがなかった、戦前期の主にプライベート空間における映像メディア受容について取り上げています。戦前の日本には、映画館以外で利用された「非劇場型」の映像機器が多種多様に存在しており、ときに家庭や宴会の娯楽として、また学校や宗教施設の教育ツールとして活用されました。これらの映像機器は、技術の変遷や需要の変化と共に廃棄され、忘れられていきましたが、個人コレクションなどを通じて今日でも現存しています。高度成長期以降の世代である筆者にとってそれらは、自分が同時代的に体験してきた電子メディア機器とはまったく原理の異なる、光学的なカラクリ装置であるからこそ魅せられ、長年調査・研究を続けてきました。本書では、それら明治以降に大流行した幻燈や玩具映画、齣フィルム、小型映画などの雑多な映像メディアとその文化について、多くの図版と共に取り上げています。そして、デジタル一元化が進む現代ではもはや過去の「遺物」でしかないそれらの映像メディアが、戦前期日本でどのように技術的・産業的に発展、衰退、また回帰していくのかについて考察しました。それは「古きもののなかに新しきものを発見すること」を試みるメディア考古学の見地に立てば、時代の敗者が一周回って現代においても最先端の表現を生み出し得る、という筆者の希望の表明であるともいえます。(福島可奈子) |