第41回大会[2015年]報告

日本映像学会第41回大会
2015年5月30-31日
主催校:京都造形芸術大学
実行委員長:伊藤高志

①開催の経緯と準備
 最初にお断りしておきますが、私は2012年度から映像学会の会員になった新参者です(年齢的には翁の域に達してますが)。学会の様々な行事や慣習などに全く無知な状況で、今回第41回大会の実行委員長に就任しました。ことの始まりは2014年4月の関西支部幹事会で当時の豊原正智会長に打診された時でした。会長は次回大会の開催校が決まらないことに苦慮されており私に白羽の矢が立ったのです。あまりに突然の依頼だったのでその時はちょっと考えさせて欲しいと言ったわけですが、豊原会長はシメシメといった充実感を抱いているように見えました。私の大学の先輩でもある豊原さんのお願いを断るわけにもいかず、快く引き受けるという返事を6月にすることになりました。その間、実際に開催が可能なのか、大学側との相談や沖縄大会の視察などを通して確信は得ていました。その沖縄大会が私にとって最初の大会経験で、権威的な儀式とは違ったアットホームさに「これならできる」と思った次第です。特に仲本委員長のアロハシャツ姿での進行のラフさが気に入りました。それから沖縄大会をモデルに京都ならではの大会を構想していくことになりました。
 まずは映像学会報168号(2014年10月1日発行)に載せる大会開催情報(第1通信)の「大会テーマ」の決定を急がねばなりません。私の在籍している京都造形芸術大学の映画学科には他に誰も学会員がいませんでした。そこで北小路先生(副委員長)と藤田先生を学会員に推薦し、3人で運営していくことになりました。話し合いの末、「映画批評は可能なのか?映画批評と映画理論・研究の臨界点(仮)」というテーマを立てました。映画ジャーナリズムで仕事をしている北小路先生や実験映像作家としての私が常日頃抱いている批評に対する欲求不満が直裁的に出てしまった挑戦的なテーマとなりました。その後様々な方々からの意見で私たちは頭を冷やしていくことになります。まずこのテーマでの基調講演の候補者から次々とNGが出て、その結果シンポジウムの候補者も決まらない、という状況が続きました。こちらの意図が伝わりにくかった、もしくはこのテーマに面白みを感じ得なかったようです。
 この難産状態でも実施へ向けての実務は一つずつこなしていかなければなりません。私たち新入りにはわからないことだらけで、総務・事務局の指示で操り人形のように動くという状況でした。大会事務局を映画学科研究室内に設定(私のデスク)、大会用メールアドレスの設置(大学で新設)、電話やファックスの設置(私のデスクのものを流用)、発表会場となる教室の確保、基調講演やシンポジウムの会場として春秋座(歌舞伎劇場)の確保など施設面の確定をまずは行ないました。大会ホームページは大学内に作らず学会ホームページ内に設置してもらいましたが、情報更新はほとんどなされず通信(第1〜第3通信)に記載の基本情報のみが掲載されあまり活用されませんでした。また学会補助費として40万円が学会本部から支給されるにあたっての口座開設や大会印の注文、申込みはがきの後払い申請のための郵便局での手続きなど、猫の手も借りたい状況が続きます。
 その後第2通信(大会概要の確定、詳細な申込み方法の告知)を2014年の12月末に本部から送付される学会名簿に同封してもらうため制作に入ります。ちなみにデザインと入稿はすべて私一人で行ないました。自慢するわけではなくスタッフはしっかり揃えておいた方がよいということです(反省)。また相変わらず講演者の人選が決まらないという状況は続きます。それと沖縄大会までは申込はがきに発表概要を記入してもらっていましたが、なにせ字数が少なく内容に不明瞭な点が残るとして、今大会からA4サイズ1枚の発表申込応募フォームに400字程度の概要を書いてもらうことになりました。これによってその後の理事会での審査が活発に行なわれるようになりました。
 年明け早々に第2通信が届いた会員の方々から、はがきやファックス、メールなどで申込みが来るやと思いきや、数人来ただけでぱったり途絶え、最初はとても不安になり会員メールで再度開催告知を行なったり、関西支部の幹事の先生方や豊原前会長に応募を周りの研究者たちに促すよう依頼しました。ところが例年のことのようですが、締切りの2月27日前後に殺到し、結果的に研究発表が46件、作品発表が14件、合計60件の応募がありました。ほっと胸を撫で下ろした次第です。この申込応募フォームを大まかなジャンルごとに分類し、名簿化して本部に送付し研究企画委員会の先生方で審査が行なわれました。
 審査およびその後の申込応募フォームの再提出を経た結果、研究発表が43件、作品発表が12件、合計55件が最終的に決定されました。3件の方は自ら辞退され1件は体調不良のため辞退、1件の方は会費長期未納でNGという結果となりました。今回の審査では会費未納者に対する条件付き受理や内容の不明瞭さの再確認などが審議されましたが、基本的には受け入れるというポジティブな姿勢でした。
 その後準備は佳境に入っていきます。発表者からの概要集用原稿の収集と概要集そのもののデザインと入稿、発表者の持ち込み機材(主にノートPC、他に8mm映写機など)と発表教室に設置されているAV機器との接続の確認や必要機材の準備、エンジニアスタッフや学生アルバイトの確保、看板の文字を書家に依頼など。また施設面では、春秋座が使えなくなり頭が真っ白状態になりましたが、ギャラリーオーブが使えるようになり結果的には会場として適切だったと思います。そして何より苦心したのが懇親会のケータリング業者探しでした。大学の学食業者に頼めばとりあえず安心で簡単なのですが、京都らしさにこだわりたいということで随分検討しました。決定したお店は京都で今最もホットで女性に人気のある和食店で自信を持っていたのですが、結果は後ほど。そして最も大変だったのが第3通信の作成でした。
 第3通信は会員の方々に大会の具体的なスケジュールをお知らせするものですが、未だにシンポジウムの登壇者が決定していませんでした。この時点で従来のような基調講演は無くしてシンポジウムのみを行なうということは、武田会長や親身に相談に乗って下さった藤井会員との密な相談のうえ決定しておりました。その後登壇者が決定したのは大会約1ヶ月前のことです。大会テーマも「映画批評・理論の現在を問う――映画・映像のポストメディウム状況について」という文言に変わりました。このシンポジウムに関しては北小路先生から詳しい報告が別ページであります。この遅延により第3通信の発送が大会開催の2週間前となってしまいました。

②当日の運営
 初日の5月30日(土)の12時30分に受付を開始しましたが、早速受付け回りはやや混乱ぎみでした。来場者の数に対して受付が狭くスタッフも少なかったこと、名簿チェックとIDカード手渡しの手際の悪さ、お釣りの千円札不足などが原因でした。受付の混乱で13時からの開会が若干遅れましたが、実行委員長(私)の簡単な挨拶の後早速シンポジウムを開始しました。会場設定(ギャルリー・オーブ)はうまくいったと思います。約200席が満席状態でしたがゆったり感がありパネラーの声もストレスなく明瞭に聞こえ完璧な音響環境でした。
 シンポジウム終了後17時(予定の10分押し)より研究・作品発表が14件、およびループによる作品上映が各会場で行なわれました。各会場では座長の司会進行により25分の発表の後5分の質疑応答という例年の形態で速やかな発表が遂行されました。また発表会場内の設備はおおむね良好で大きなトラブルはありませんでしたが、一部の会場でマイクの電池切れやDVDのリモコン探しなどで発表に支障をきたした事例がありました。
 18時半からの懇親会はシンポジウム会場の隣のオーブ吹き抜けで行ないました。沖縄大会の反省でお酒は潤沢に揃えたのですが、食べ物があっという間に無くなり大変申し訳ない気持ちになりました。申込者の人数よりやや多めで100人分の食事を用意していたのですが、参加者が160〜70人程あってこのような惨劇となりました。お酒だけの懇談が続いた最後に、次回の大会開催校である日本映画大学学長の佐藤忠男先生から挨拶があり、無事お開きとなりました。
 2日目の5月31日(日)は、10時から午前中21件の発表が粛々と行なわれ、正午から昼食をとりながらの理事会、13時20分からは第42回通常総会が開催され会員の方々から活発な質問などがありました。その後14時50分から20件の発表とアナログメディア研究会と映像表現研究会の上映が行なわれ17時30分には全ての発表が無事に終了しました。例年終了時はゆるやかなフェードアウト状態で、1人また1人いなくなるといったちょっと寂しげな空気で終わるようです。

③来場者数と会計報告(収支0円の内訳)
来場者数:会員166人、一般30人、学生25人、本学学生(無料参加)51人、合計272人
収入:大会参加費(懇親会費含む)1,132,000円+学会補助費400,000円=総収入1,532,000円
支出:印刷費210,560円+郵送費77,025円+ゲスト招聘費105,800円+ケータリング費540,000円+人件費419,000円+デザイン費100,000円+雑費79,615円=1,532,000円

④大会を終えて気付いたことや反省など
・実行委員がほとんどいないという状況での多忙さに身体を壊しそうになりましたが、これはスタッフを集めれなかった私の力不足によるものです。当初3人いた実行委員も学内の事情により途中2人に減りました。関西支部の先生方はとても協力的だったのですが、実働部隊は身近にいなければ作業がはかどらず、私の方から協力を敬遠してしまいました。実働部隊が4〜5人いればスムーズな運営が可能だと思いました。
・少ない実行委員のため作業の遅延やミスなども多々ありましたが、やはりシンポジウムの決定の遅延が大会運営のラストスパートに大きく影響しました。第3通信発送の遅れは発表者に不安を与え、自分の発表はいつなのか、スケジュールはどうなっているのかという問い合わせが間近に多くありました。
・第3通信のプログラム表内において発表者のタイトルの抜け落ち、概要集内のミスプリ(増刷時に修正)、ループ上映会場のチラシ内のタイトル表記ミスなど、校正作業の不手際が目立ち、注意力が散漫になっていました。
・今回エクスカーションを行なわなかったのも、委員不足で計画実施する余裕が無かったというのが実情です。ただ例年エクスカーションが月曜日に開催され参加者が極端に少ないというのは、果たして実施することに意味があるのかを再考してもよいかもしれません。
・これは懇親会の弁明になるかもしれませんが、会員の方々が申込み手続きを踏まずに大会に参加することによる準備の難しさはあると思います。食事やIDカードその他準備品の数が読めないことによる障害が多々ありました。
・最後に提案ですが、申込みのための返信はがきは非効率なのではないかと思いました。また研究・作品発表の申込方法が郵送、FAX、メールと多岐に渡ることの煩雑さがあり、これらをメールに一括すれば、印刷費や郵送費の経費の節約や作業の効率化に繋がると思いました。

大会プログラム
5月30日(土)
12:30- 受付開始
13:00-16:20 開会の挨拶/シンポジウム
シンポジウム「映画批評・理論の現在を問う – 映画・映像のポストメディウム状況について」
 パネリスト:
  藤井仁子(早稲田大学 映画学、映画批評。)
  三浦哲哉(青山学院大学 映画批評・研究、表象文化論。)
  渡邊大輔(跡見学園女子大学 日本映画史、映画学、批評。)
  堀潤之(関西大学 映画研究、表象文化論。)
  岡本英之(株式会社Sunborn映像事業部「LOAD SHOW」(http://loadshow.jp/) プロ デューサー。)
  青山真治(映画監督、小説家。)
 司会進行: 北小路隆志 (京都造形芸術大学)

16:50- 研究・作品発表
16:50-17:20
研究発表
 藤田純一「ウィリアム・フリーズ=グリーン研究―特許抄録を資料として」
 羽鳥隆英「配役を夢想する―植木金矢の剣劇漫画への映画史的接近」
 韓承甫「つた奴と米子の相違と類似―『流れる』(1956)にみる成瀬映画の特徴」
 東志保「クリス・マルケルとアニエス・ヴァルダの映画におけるグラフィティの意味」
 篠木涼「反応とコントロールの視覚文化論―1960-70年代における行動主義心理学・行動療法におけるイメージについて」
作品発表
 大島慶太郎「『POP 70』―白黒ハイコントラストフィルムによる映画制作」
 奥野邦利『未来の考古学 File NO.001』

17:30-18:00
研究発表
 今井イスパス恵子・松尾好洋「撮影カメラネガフィルムを使用したデュープリケーションの試み」
 閔スラ「映画『淑女は何を忘れたか』にみられる「曖昧な女」に対するスタイル演出」
 趙陽「アントニオーニ『さすらいの二人』論」
 宮田徹也「ヒグマ春夫の映像の可能性―現代美術の視点から」
 青山太郎「東日本大震災のイメージをめぐる「記録」と「表現」に関する考察―映像メディアにおける/による市民の対話の可能性について」
作品発表
 ほしのあきら・横溝千夏「作品『行方不明』―ちょっと前の再構成」
 風間正・大津はつね『記憶のマチエール #7 〈D-26〉』

18:30-20:00 懇親会

5月31日(日)
9:30- 受付開始
10:00-11:50 研究・作品発表
10:00-10:30
研究発表
 水野勝仁「画像とテクスチャ―ポストインターネットにおける2Dと3D」
 名取雅航「精神主義映画にみる男性ジェンダーの多元性―戦時下の見えない父とホモエロティシズム表象をめぐって」
 田中晋平「相米慎二の映画における生・死―『夏の庭 The Friends』のゆらぐ光を中心に」
 桑原圭裕「アンサンブル・フィルムにおける物語世界の内と外」
 ドキュメンタリードラマ研究会「ドキュメンタリードラマ研究会の活動について」
作品発表
 末岡一郎「『как снимают кино』―映画作法について」
 山本努武「全方位メディアを用いた作品『あそびの描像』についての作品発表」

10:40-11:10
研究発表
 池側隆之「映像記録と発信をめぐるデザイン学的考察―「Storycorps」と「FIXPERTS」を軸に」
 成田雄太「日本における無声映画期のプログラム―その映画史研究的意義について」
 飯岡詩朗「テレビ/映画批評としての The Long, Long Trailer (1953)
 上田学「田中栄三論序説」
 高橋克三「記憶の記録の狭間にて―3年目に入った東京北区「映画アーカイブによる街おこし」」
作品発表
 川口肇「『formosa-blue』―デジタルを介在する銀塩フィルム表現」
 小林和彦『Trace undulation』

11:20-11:50
研究発表
 孟祥宇「バーチャル3D空間における映像オブジェクトについて―レイヤー構造の考察を通じて」
 小川佐和子「実写からプロパガンダへ―日本における第一次世界大戦映画」
 山本祐輝「『M★A★S★H』(1970)の拡声器―ロバート・アルトマン映画における装置を介した音声と語り」
 泉順太郎「『009 RE: CYBORG』における不可解な正義」
 植田寛「高等教育における映像専門教育の指導方法の考察」
作品発表
 太田曜「16㎜映画『フランス・バニング・コック隊長の市警団』上映と口頭発表」
 井上貢一「『Movie Square』―マルチ映像展示のためのWebシステム」

12:00-13:20 昼食/理事会
13:20-14:20 第40回通常総会

14:50-16:00 アナログメディア研究会上映(日本の実験映画作家の作品を16㎜プリントで上映)&コメントトーク

14:50-17:30 研究・作品発表
14:50-15:20
研究発表
 ヨハン・ノルドストロム「P. C. L 映画に見るサウンドの技術と美学」
 盧銀美「ナラタージュにおけるヴォイス・オーヴァー―映画を語る声の歴史的考察」
 広瀬愛「映画「四谷怪談」考―深作欣二『忠臣蔵外伝 四谷怪談』における怪異性」
 百束朋浩「実写化されるヒーロー―映像表現の日米映画比較研究」
 中垣恒太郎「災害表象とドキュメンタリー表現の変遷―都市・環境・テクノロジーの政治学と倫理」
作品発表
 黒岩俊哉「”nHr°2 for Installation” 黒岩俊哉映像個展『まなざしのパッセージ 4―記憶の融即律』について」

15:30-16:00
研究発表
 鈴木清重「映像体験の記述と理論構築に関する実験心理学的研究―映像環境の「モンタージュ」と「ゲシュタルト」」
 板倉史明・松尾好洋「1930年代におけるアマチュア映画文化と色彩―コダカラーの研究活用とアーカイビング」
 玉田健太「音なきメロドラマ―『ジョニー・ベリンダ』(1948)におけるヒロインと医師の関係性」
 野村建太「日記映画とアニメーションについて」
 村上泰介「模倣の共振と創造―発達障害の身体的イメージへの芸術的アプローチ」
作品発表
 芦谷耕平『アシノミクス』

16:20-17:30 映像表現研究会「ISMIE 2014」セレクト作品上映&コメントトーク

16:20-16:50
研究発表
 江本紫織「能動的プロセスとしての写真―コンテクストに対する有機的関わりの点から」
 牛田あや美「雑誌に描かれた「写真小説」―戦時下の漫画と映画」
 井川重乃「加藤泰『みな殺しの霊歌』論―大和屋竺と斎藤龍鳳の論争を手がかりとして」
 西村智弘「アニメーションという言葉はどのように広まったか―「アニメーション三人の会」を中心に」

17:00-17:30
研究発表
 小出正志「学生アニメーション作品の管理・保存と利活用に関する一考察」
 紙屋牧子「「傾向映画」再考:1920年代と1930年代の接続/切断面
 今村純子「夢見る権利―宮崎駿監督『風立ちぬ』をめぐって」
 森友令子「『白蛇伝』と『天守物語』にみる背景描写」

会報第172号第173号より抜粋)