第29回大会[2003年]報告

日本映像学会第29回大会
2003年5月31日‐6月2日
主催校:倉敷芸術科学大学
実行委員長:神原正明

 早稲田大学から大会を引き継いだ懇親会の席で、ひとりの実行委員の先生からいただいた第一声は「お気の毒に」でした。それから一年間、倉敷チボリ公園の宴席で東京工芸大学にお気の毒にと無言のエールを送るまでが、私たちの報告ということになります。
 実行委員会のメンバーは多くが映像とは無縁な素人集団でしたが、なんとか曲がりなりにも大役を終えることができたようで、ほっとしています。大会終了にいたるまでの顛末をエピソードも交えて綴ってみたいと思います。
 無謀にも大会開催に立候補しようということになったのは、話としては二年前にさかのぼります。2001年春4月、本学の大学院博士課程のスタートにあわせて赴任された淺沼圭司先生を囲んでの二次会でした。誰が言い出したのか淺沼先生は映像学会の会長も務められたことでもあるし、今後、映像コースの独立もあるので、お披露目もかねて映像学会を開いたらという声。同時にあちこちからヤレヤレという伴奏がありました。とりわけ大きな声だったのは、大学院の研究科長だった彫刻の蛭田先生。淺沼先生と私をその年倉敷に招き入れた人です。次に大声だったのは美学の森田さんとガラス工芸の磯谷さん、ふたりは日頃より声が大きいのですが、このときもダブルパンチとなっていて、それを受けて淺沼先生が「映像学会を開くのは大学にとって決して悪いことではない」という判断、次に「お役に立てるならば」という一言が加わってしまいました。実はこのときその場に居合わせた映像コースのスタッフはゼロ。いわば外野だけで勝手に盛り上がったということになります。
 淺沼先生が当時の松本俊夫会長にまず連絡をとり、委員会を経てあっさりとOK。その報告を受けた時、私たちの顔は一瞬曇りました。もはや酔いの勢いはありませんでしたので。映画『卒業』のラストシーン、勢いで駆け落ちをしてしまった若い男女が一瞬見せるかげりの表情に似ていたと思います。こんな山のものとも海のものとも知れない実績もない大学にいきなり大会など、「十年早い」という良識的な判断はなかったのかと、寛大さが恨めしくもありました。「エライことになってしまった」。これがどうもそのあたりでは他人事ではすまされなくなっていた私自身の正直な実感だったようです。
 まずは学会員にならなくては。研究発表前にあわてて入会する昨今の大学院学生の心境でした。大会開催目的で同時に入会したのが私も含めて学内で8名、以前からの会員をあわせると12名、ちょっとした勢力になっていました。
 腹をくくったのはそこからです。実行委員長のみならず学会の理事のポストまで加わったので後には引けなくなっていました。だいたい倉敷にまで人は来てくれるのか。予算は大丈夫か。それからはもっぱらお客さまをいかに満足させてかえすかということだけが至上命令となりました。まずは人を呼ぶにはどうすればいいかということです。それにはシンポジウムを充実させること、これが第一です。何度かの話し合いを経て、「映像と作者」というテーマに落ち着きました。ほぼ一か月ごとに学内で準備委員会を重ねて、トータルで20回を越えましたが、映像問題にあまり良く通じないスタッフ相手に淺沼先生にレクチャーも行なってもらいました。
 基調講演と構成は淺沼氏の演出で、講師の出演交渉等は私が行ないました。司会は森田さんに、パネラーには三名の立場を異にした発言者をお願いしました。会員内で武田潔、風間正の二氏と会員外で室井尚氏に加わっていただきました。出演料があまり捻出できないので、歯切れの悪い対応になっていたことを反省します。前日に吉井旅館で打合会を計画したのですが、ここでの泊まりと勘違いされてあわてふためくこともありました。結構高級なのです、ここは。
 映像専攻はまだ大学院までありませんので、とにかく学生ボランティアは期待できず、アルバイト費の捻出が課題でした。最終的な計算ではのべ812時間、人数にして24名のアルバイトを動員したことになります。博士課程の学生も混じっていますが、専攻はみなばらばらです。当初の予算組みでは25万円を見ていましたが、これではどうしようもなかったと思います。学生には時間給はいくらになるか分からないが、お客さんの数次第だといっていました。さいわい予想を超える盛況で時間給800円を払うことができました。
 大学は交通の便がよくありません。スケジュールについても一考の余地がありました。本来なら大学で出迎えて、研究発表のあとにシンポジウム、懇親会と続くのでしょうが、今回は一日目にシンポジウムと懇親会を学外で、二日目に研究発表をかためて学内でということにしました。第一日目は倉敷の中心部にある市立美術館を借りてのシンポジウム、そのあと倉敷駅北側にあるチボリ公園内レストランでの懇親会と続きます。本来なら懇親会は発表者にとっては研究発表後の反省の場となるべきものかもしれませんが、今回は明日に控えての根回しの場になってしまったようです。
 イレギュラーなのは日程だけではなく、天候もスリリングに推移しました。5月末なのに珍しく台風が来ていたのです。前日の予報では大会第一日目にぴったりと倉敷あたりに台風の目が通過するとのこと。パネラーの面々は打ち合わせがあって前日から来ていただいていたのですが、もし当日新幹線がストップしたらどうしようという心配がふくらんでいました。観客がいなくて出演者だけがそろっている奇妙な舞台が私の目には浮かんでいました。案の定、朝のニュースを見ていると8時発の羽田から岡山に向かう全日空の便が欠航になりました。返事をもらった数だけ正直に予約を入れている懇親会はいったいどうなるの? 出席の返事の何割が実際に来てくれるの? などあてもなく不安は広がっていきます。思案にくれながらも朝早くから市立美術館での準備が始まりました。空はどんよりとして嵐の前の静けさでした。
 仕込みの終わったチボリ公園レストランへ大幅に参加者が減るかもしれないという連絡を朝一番のメールで入れ、9時以降電話で対応するなか、こんな突発的なことですのでキャンセル料はいただきませんという太っ腹な返事をもらってまずは一安心。あわただしく会場設営に入ったのですが屋外の風雨はいつまでもはじまりません。拍子抜けしていると、やがて情報が入ってどうやら台風はそれたようです。そこから話は急展開し、開会の時間までには予想外の参加者が集まっていました。会計報告にありますように会員の参加が131名、一般が17名、学生が38名でした。シンポジウムに使った美術館講堂は200名収容ですので、会場にはちょうどいい程度に入っていたように思います。懇親会も当日の飛び入りを含めてキャンセルどころか追加の始末、93名の出席がありました。これまでの心配は何だったのでしょうか。
 チボリ公園での懇親会は、岩本憲児会長のあいさつにはじまり、当番校を代表して本学の平野重光学部長が続き、学会の前会長松本俊夫氏の乾杯、東京工芸大学の西村安弘氏からの次回開催校紹介と流れていきました。司会は同僚の大熊治生が務めました。散会後の帰り、雨上がりの夜道にはイリュミネーションが輝いていました。やっと一日が終わった・・・。もちろんこの後も倉敷の夜は相当長かったのですが。
 学生や一般の入場者をどれほど動員するかは、議論がありました。映像学会自体は他の学会に比べて一般に向けて開かれた集まりですが、原則的には会員が中心のはずです。しかし、大会前のアンケート調査では70名ほどしか期待できていなかったので、会場は200名収容、なんとか一般入場者に声をかけようということになりました。2日間をかけて放送局をまわったのは思いのほか良い勉強になりました。彫刻の蛭田先生の先導で、映画の小西先生の人脈をたよりに神原が加わって、染織の生谷先生の愛車GMWで頭を下げにでかけました。3名の先生方はともに70歳を超える老兵、皆さんその道の達人なのですが実に協力的で、私の方が恐縮していました。
 この放送局への訪問はもうひとつ広告取りという目的がありました。大の大人が4人頭を下げてもなかなか3万円の広告費が出てきません。彫刻の先生にこれなら家で小品をひとつひねってもらう方が手っ取り早いですねといって笑いました。岡山のテレビ局を6社ほどまわりましたが、手応えは2社だけでした。NHKなどは端から問題にされません。放送局の現場と映像学会は無縁だという思いが強くしました。
 広告は概要集の裏表の表紙を当てました。それ以外にも全部で25万円ほどがとれたので印刷費に充てずいぶん助かりました。概要集の編集も思ったより手間がかかるものでした。発表者とのやりとりの中でも、いろんな人がいてこれも良い勉強になりました。心配症なのか何度も問い合わせてくる人、不感症なのか何も連絡してこない人、実にさまざまです。もちろん発表は学会の華ですから、こちらとしては丁重に対応しなければなりません。でも「発表ずれ」をしているのか、態度がどうしても横柄になる場合もあるようです。
 作品発表についてもさまざまでした。作品テープだけを送ってきて大会期間中、本人は姿を見せないというケースもあれば、パソコンや映写機まで持参して会場に張り付いてくれる作者もいました。この落差を認めれば、やがて研究発表も発表者不在でテープだけがまわっている光景が目に浮かんできました。
 それにしても参加アンケートがもっと信ぴょう性のあるものになる方法はないのでしょうか。今日では往復はがきをやめて限られた予算を有効に使いたいという生活の知恵から生まれた「料金受け取り人払い」という方法がよく使われます。大会参加者のみ返事をほしいのですが、なかにはどう見ても欠席の連絡としかみえない返事があります。もちろん返事を出すのは美徳なのですが、こちらとしては「参加の方のみ」にわざわざ下線まで引いているものですから、欠席者は遠慮頂きたかったのです。受け取り人払いの場合通例の50円のハガキが、70円必要になります。なんとも世知辛い話ではありますが、不安を抱えた大会前の緊縮財政のなせる技でしょう。
 正確な数字がほしいというのは主催者側の切実な願いです。アンケートの返事よりも実際の参加者が増えるのはたいていの場合でしょうが、出版物の部数や会場の席数など、あらかじめ知っておきたいことは多いものです。今回では発表会場の広さ、懇親会場の広さ、概要集の部数などが読み切れませんでした。チボリ公園にはいくつかのレストランがあって参加者が増えて急きょ変更ができました。研究発表の会場も参加者が読めない段階で、A・B・C会場としておき、場所の指定はぎりぎりまで延ばしました。50名程度収容できる3会場は隣り合わせでしたので、場所の移動は問題なかったと思います。ただ200部つくった概要集は手もとに一冊も残っていません。
 研究発表のプログラムは機材別に組み立てたので、内容的には問題点が出たのではないでしょうか。パソコンとビデオと口頭のみの会場に分けましたが、プロジェクター等、機材に余裕があれば、「映画映像理論」「作家作品研究」「教育的視点」「メディア論」などのテーマ別の会場構成を可能にしたかったというのが反省です。午前中3会場、計9本の発表、午後は4会場、計15本の発表で、全体で24本の発表がありましたが、実際には7本しか聞くことはできなかったことになります。
 シンポジウムは映画の学生にビデオをまわしてもらいました。4時間ほどの収録になりますが、編集してダイジェストをホームページで流すとか、VHSに落として貸し出しに応じるとか対処を考えています。
 最後にエクスカーションについてひとこと。3日目は台風一過見事に晴れ渡りました。これは企画・準備から運営までガラス工芸の磯谷先生にお願いして、私はお客さまの側にまわりました。バス一台25名の参加者でした。コースは備前方面、国指定の閑谷(しずたに)学校から、日生(ひなせ)海岸での海鮮料理、備前焼の窯元(岡田輝本学教授)をめぐる小旅行でした。3時過ぎ岡山駅でバスから降りる参加者を見送ったとき、ここちよい疲れの混じった放心状態にいました。
 私にとって大会運営は悪夢のようなものでしたが、大会が終わって二ヶ月以上が経った今、目的もなく毎日が過ぎてゆく現在の方が、実は悪夢かなと実感しています。報告というにはあまりにも個人的な記述になってしまったことお許し下さい。
(執筆・記録:神原正明/会報第124号より)
<hr>
プログラム
■5月31日(土)基調講演・シンポジウム・懇親会
会場:倉敷市立美術館講堂
11:30 受付
12:30-13:15 基調講演 淺沼圭司(倉敷芸術科学大学)
13:30-16:00 シンポジウム「映像と作者」
          パネリスト 武田 潔(早稲田大学)
                  風間 正(映像作家、早稲田大学川口芸術学校)
                  室井 尚(横浜国立大学)
          司会     森田亜紀(倉敷芸術科学大学)
18:30-20:30 懇親会(倉敷チボリ公園内レストラン)
*関連イヴェント 加計美術館(芸科大卒業生による「YOUNG OH!OH!」展

■6月1日(日)研究発表・作品発表・総会
会場:倉敷芸術科学大学
研究発表
10:00-10:35
   清水藍「デジタルシネマにおける鑑賞支援手法関する一考察」
   溝渕久美子「「文芸映画」の変遷-1910年代から1930年代を中心に」
   碓井みちこ「サスペンスとしての音-ヒッチコック作品における<限定された場所>の主題」
10:40-11:15
   水野勝仁「マルチ・スクリーンを用いた作品における映像空間について」
   楊紅雲「映画産業斜陽化における東映の戦略-テレビに対抗した任侠映画路線(1963-1972年)を中心に」
   山下耕「テレビドラマ『Good Luck!!』のアヴィエーション連関を視点にした考察」
11:20-11:55
   赤木恭子「「メディア社会の子ども像」と「映像メディアによる表現行為」における対話的関係性について」
   野島直子「寺山修司の映画装置論-『蝶服記』(1974)を中心に」
   西村安弘「『ブラック・サバス』における家庭内闘争」
12:00-13:00 昼食
13:00-14:00 第30回通常総会
14:00-14:35
   長船恒利「ヤロミール・フンケとチェコモダニズム─チェコ・スロヴァキア写真史」
   李珠彦「朝鮮映画における平等と差別の「内鮮一体」政策」
   佐野明子「ヤン・シュヴァンクマイエル研究─映画と人形との邂逅」
14:40-15:15
   李容旭「静岡文化芸術大学、技術造形学科におけるCG制作を通して見たデジタル映像教育の可能性について」
   吉村健一「デジタルイメージの諸言説─速度と仮想」
   小出正志「人形アニメーション映画の特質に関する一考察」
   大野裕之「『チャップリンの舞台裏』のアウトテイク研究」
15:30-16:05
   松村泰三「過去の映像装置についてのデジタル教材化(1)─フェナキスチスコープ作成ソフトの制作」
   李仙姫「ナム・ジュン・パイク研究─ビデオ彫刻ロボット作品を中心に」
   今井隆介「初期アニメーション研究「再現から創造へ」─アニメーションとは何か・アニメーション理論構築の試み」
   曽根幸子「映画の視線について─空間と時間」
16:10-16:45
   茂登山清文「ISEA2002展覧会作品における映像について」
   和田伸一郎「仮想現実への没入は身体にどのような分裂を強いるのか」
   宇佐美昇三「ペルーの遠隔中学校における映像理解」
   柴田崇「メディア論におけるextensionの概念」
*関連イヴェント 12号館(映像作品)、15号館(ガラス工房デモンストレーション)

■作品発表 6月1日(日)9:00-17:00 常時上映
会場 22号館、1号館、18号館
発表者 相内啓司「Un ange passe・沈黙」
      家住利男「ガラスとイリュージョン」
      河合明「Do you know Nietzche as musician?」
      熊谷武洋「Opening Title Movie for Yamaguchi-University Broadcast Channel」
      松村泰三「フェナキスチスコープ作成ソフト「Moving Image Maker」」
      李容旭ほか「The Monkey Island」
      風間正+大津はつね「D&eacute;-Sign(脱記号)14  携帯の帝国<L’Empiree des KEITAI>」

■6月2日(月)エクスカーション
9:00-16:00 備前焼窯元と閑谷学校を訪ねて

以上