関西支部第90回研究会【3月27日】

日本映像学会関西支部第90回研究会(3月27日)

下記の通り日本映像学会関西支部第90回研究会をリモート(Zoom)にて開催いたします。関西支部会員に限らず多くの方の参加をお待ちしています。

日時:2021年3月27日(土)午後2時より4時頃まで。

研究発表1:ヒトの眼・機械の「眼」に対して「情報源」として機能するフラットネス
発表者:甲南女子大学 水野勝仁会員
要旨:
 Photoshopで加工した痕跡を大胆に残す作品を制作するルーカス・ブレイロックは、写真について以下のように書いている。
写真は、すべてそれらのフラットネスのために、純粋に混成の空間を示唆する:それは二次元と三次元、表面平面とそのなかの空間、それだけでなく、抑制、魔術、死、歴史、目撃とほんのいくつかあげてみただけだが、多くのメタファーとなっている。(*1)

 ブレイロックは印画紙にプリントされた写真であれ、ディスプレイに表示された画像であれ、それらがすべて二次元平面でイメージを提示し、そのイメージから三次元空間が立ち上がるという写真の前提を端的に指摘している。しかし、私は二次元平面でもなく三次元空間でもない「フラットネス(=平坦さ・単調さ)」という言葉に奇妙な感じを持ち、この言葉を用いた「すべてそれらのフラットネスのために〔for all their flatness〕」という一句に惹かれ、ブレイロックの作品の考察を行ってきた。そこから、写真というものが提示される紙やディスプレイといった二次元平面、そして、写真が見る者の意識に否応なく立ち上げる三次元空間、このいずれもが含まれる写真・画像のフラットネスとは次元を持たない「情報源」であると考えるに至った。カメラがコンピュータと結びつき、写真が画像として幾何学的な要素は一切持たない色情報であるピクセルの制御によって、ディスプレイに提示されたときに、写真・画像のフラットネスとは、ヒトの眼・機械の「眼」に対して「情報源」であることを明確に示したのである。
 ブレイロックの作品は写真・画像のフラットネスを情報源と見なすがゆえに、「二次元と三次元、表面平面とそのなかの空間」からはみ出していくような奇妙さを示しているのではないだろうか。その奇妙さは、ブレイロックが写真の問題としてきた二次元平面と三次元空間との幾何学的関係を意識しつつ、コンピュータの「接続の論理」を具現化するものとして、PhotoshopやARを使い、ピクセルとその先にある情報源そのものの情報を選択・操作して、平面と空間とが適切に立ち上がることないように色情報の集合をつくっているからだと考えられる、ということを発表していきたい。
*1 Lucas Blalock, ‘DRAWING MACHINE’, “Foam Magazine #38: Under Construction”, 2014, p. 208.

研究発表2:メアリー・エレン・ビュートの抽象映画作品におけるヨーゼフ・シリンガーの芸術理論の影響
発表者:大阪芸術大学 大橋勝会員
要旨:
  メアリー・エレン・ビュート/Mary Ellen Bute(1906-1983、アメリカの映画作家、美術家)は、自らの音楽体験を視覚的に表現するという目標のため、様々なメディア(絵画、照明、カラーオルガンなど)を遍歴したのち、サウンド映画に到達する。この間、トマス・ウィルフレッドやレフ・テルミンらとの重要な出会いがあり、特にロシアの科学者・作曲家ヨーゼフ・シリンガーの大きな影響を受けている。シリンガーは後のバークレー・メソッド、コード進行の元になる作曲理論を考案した人物で、芸術制作に数学的方法論を持ち込もうとした。特に人間の五感の順列組合せに対応する芸術形式を考察しており、その理論は大著The Mathematical Basis of the Arts(芸術の数学的基礎)(1943)にまとめられている。本書第三部5章Production of combined art(複合芸術の制作)では視覚と聴覚の相関関係が示唆されており、音楽を伴う抽象アニメーションが例として挙げられている。
 ビュートの映画作品は、その始まりにおいて、シリンガー理論の実践という側面がある。映画第1作であるSynchromy(シンクロミー)(1932)は、シリンガー・システムによる幾何学的パターンとシリンガー作曲の曲を組み合わせたサウンド映画、抽象アニメーションであったが完成には至っていない。その後、アニメーションと実写の折衷的な技法と既存のクラシック音楽を組み合わせた抽象映画Rhythm in Light(光のリズム)(1934)、Synchromy no.2(シンクロミー2番)(1935)を完成させているが、シリンガーの芸術理論をその基盤に置いている。
本研究発表では、メアリー・エレン・ビュートの初期作品について、ヨーゼフ・シリンガーの芸術理論との関連を確認し、その上で今日のメディアアート的視点からビュート作品とシリンガー理論の再評価を試みる。

参加希望の方は前日3月26日(金)までに eizoukansaigmail.com までメールをお送り下さい。メールにはご所属・氏名のみ記入いただければ結構です。追ってZoomの招待メールを返送いたします。

日本映像学会関西支部事務局
〒585-8555大阪府南河内郡河南町東山469
大阪芸術大学映像学科内
Tel: 0721-93-3781(内線3327)
email:eizouosaka-geidai.ac.jp

映像テクスト分析研究会 2020年度(通算第20回)研究発表会【3月27日】

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日本映像学会 映像テクスト分析研究会
2020年度通算第20回研究発表会 開催のお知らせ
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日本映像学会会員各位

映像テクスト分析研究会の研究発表会を下記のとおり開催します。
Zoomによるオンライン開催となりますため、運営の都合上、事前に登録された日本映像学会会員のみご参加いただけます。ご了承ください。
みなさまのご参加をお待ちしています。

日本映像学会映像テクスト分析研究会
代表 藤井仁子

■日時===========================
2021年3月27日(土曜日)14時開始~16時終了予定
発表後に休憩をはさんで質疑応答あり

■参加方法===========================
Zoomを利用してのオンライン開催です。下記のフォームを通じて3月26日(金)17時必着でお申し込みください。その後、登録されたメールアドレスに接続情報をお送りします。

https://forms.gle/d5LRkr9qiE8QRN1a7

なお、今回は成人映画に関する研究発表のため、ご参加にあたっては接続環境への十分なご配慮をお願いいたします。

■発表者==========================
鳩飼未緒(早稲田大学総合人文科学研究センター助手)

■表題・概要===============================
日活ロマンポルノの黎明期――『団地妻 昼下りの情事』から摘発事件を経た路線の確立

 日活ロマンポルノは総体として見た際、それ以前の男性向けプログラム・ピクチャーとは決定的に異なる姿を呈している。日活アクションや東映やくざ映画では男性スター演じる主人公が同時代の男性観客の強い同一化と憧憬や陶酔の対象となり、ファンタジーを満たす英雄(ヒーロー)としてスクリーン上で輝き続けたのに対して、ロマンポルノは基本的にこのような英雄的な男性のイメージを差し出さなかったのだ。そもそもロマンポルノのほとんどは女性を主人公に据えており、物語において副次的な存在である男性たちが英雄的でないのは当然かつ瑣末なことだと思われるかもしれない。しかし、男女の性愛をドラマの軸とするロマンポルノにおける英雄的男性のイメージの不在は、実のところ、この成人映画路線の成立と存続の根幹に関わる問題なのである。
 英雄的男性を描くことを放棄し、女性に焦点を当てた現代劇というロマンポルノのプロトタイプとなったのは、第一回作品のうちの1本、『団地妻 昼下りの情事』(西村昭五郎、1971年)である。しかし本作の特徴を後続の作品群が全面的に踏襲したわけではなく、ロマンポルノはこの第1作を下敷きにしつつ、徐々に変質していくこととなった。そしてその直接的な契機となったのが、本作の公開から3ヶ月後に起きたロマンポルノの摘発事件である。この発表では『昼下りの情事』を中心に摘発前後の作品のテクストを参照し、ロマンポルノという成人映画路線が確立されていく過程を検証する。『昼下りの情事』は男性観客が享受することを見込んで作られた「ポルノ」としては様々な矛盾を内包する作品であるが、摘発事件を経たロマンポルノが、そうした矛盾をいわば発展的に解消することによって、英雄を描かない異形の男性向けプログラム・ピクチャーとして存続の道を見出したことが明らかになるだろう。

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お問合せ先:
日本映像学会東部支部 映像テクスト分析研究会
代表 藤井仁子
〒162-8644 新宿区戸山1-24-1
早稲田大学文学学術院
e-mail: jinfujiiwaseda.jp

日本映像学会 映像心理学研究会・アニメーション研究会 日本アニメーション学会 心理研究部会 合同研究会【3月28日】

日本映像学会 映像心理学研究会・アニメーション研究会
日本アニメーション学会 心理研究部会
合同研究会

日本映像学会 映像心理学研究会・アニメーション研究会と日本アニメーション学会 心理研究部会の合同究発表会を、Zoomを用いたオンライン形式で開催いたします。参加登録をしていただければ、どなたでも参加いただける会です。
ご興味、ご関心がございましたら、是非ご参加くださいますようご案内申し上げます。

日本映像学会 映像心理学研究会・アニメーション研究会 代表:横田正夫
日本アニメーション学会 心理研究部会 主査:野村康治

■開催概要

日時:2021年(令和3年)3月28日(日曜日) 15:00~18:00
参加費:無料
参加登録:参加をご希望される方は、3月26日(金曜日)までに下の参加登録フォームに必要事項をご記入ください。
https://forms.gle/Yg3kQgm22ASsRVKi9
登録後、ご記入いただいたメールアドレスに参加用URLをご案内いたします。

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合同研究会プログラム

15:00~ 開催挨拶

*日本アニメーション学会心理研究部会・日本映像学会アニメーション研究会 合同企画
15:10~16:10(質疑応答を含みます)

研究発表 「アニメ視聴による心理的体験の構造化および作品/視聴者要因に関する臨床心理学的研究 ―アニメーション療法の開発に向けて―」
発表者:薮田拓哉
要旨:アニメ視聴によって人々はさまざま体験をするが、時に生きる糧になるなど、援助的な側面も包含している。しかしアニメーションを心理的援助に応用する試みは行われておらず(横田,2019)、基礎的な知見が少ないのが現状である。本発表では、臨床心理学の観点からアニメの心理的支援への活用可能性に繋がる研究を紹介する。研究1では、アニメ視聴による心理学的体験の構造化を行った。その結果、視聴者は娯楽的な体験・影響にはじまり成長や意味を見出すという、より臨床心理的な体験・影響に至るまでの体験をしている事が示唆された。続く研究2は、その体験の生起に関わる作品要因と視聴者要因、体験生起を妨げる阻害要因を検討した。その結果、作品と視聴者の間でどのような心の働きが反映されているのかについての示唆が得られた。本発表では、「アニメーション療法」の可能性も視野に入れつつ、アニメ視聴体験の効用について心理学的に研究する意義やアニメの持つ力について議論したい。

16:10~16:20 休憩

*日本映像学会映像心理学研究会・日本アニメーション学会心理研究部会 合同企画
16:20~18:00(討論・質疑応答を含みます。また適宜休憩時間を設けます。)

パネル・ディスカッション「アニメーション -「イメージ」の伝達-」

進行:野村康治
企画要旨:アニメーションは、作り手が思い描いたものを具現化し、それを受け手に伝える表現だといえる。一般に私たちは、思い描くものを「イメージ」とよぶため、その具現化つまりアニメーション作りにおいて「イメージ」が不可欠だと考えるのはごく自然なことである。しかし、そこで必要とされる「イメージ」とはいかなるものなのであろうか。あるいは、アニメーションにおいて「イメージ」は本当に不可欠なものといえるのであろうか。今回のパネル・ディスカッションでは、アニメーション作りにおける「イメージ」の重要性を指摘する中村氏と、「イメージ」という概念を用いずにアニメーション作りを語る佐分利氏という、ある意味で対極的な視点に立つ2名のパネリストを招き、意見交換をすることでアニメーションにおいて伝達される「イメージ」というものを検討していきたい。

パネリスト:中村 浩
題目:アニメにおける動きイメージのリアリティについて
要旨:アニメ作家が作り出す動きには、その動きのイメージと統合された作家自身の身体図式が表現されている。そしてその鑑賞者においても、観察した動きが鑑賞者自身の身体図式に関連付けられることによって、それがよりリアルな動きとして知覚される。しかしこれは身体図式と視覚的に鑑賞される動きの統合によって形成された視覚図式がアニメ製作者と鑑賞者に共通であることを前提としている。ではこの図式はどのようなプロセスを経て形成されるのであろうか。リアリティの高い視覚図式の形成が、視覚刺激の身体図式への同化によって可能になることを発達心理学的観点から示したのがPiagetであるが、本報告では因果関係知覚の発達を題材とした研究結果を手掛かりとしてこのプロセスについて議論したい。

パネリスト:佐分利敏晴
題目:イメージで語らない生態心理学と、イメージとしてのアニメーション
要旨:生態心理学において私たちが視覚で環境を見るとき、脳内で作られるイメージや目にしたときの網膜に投影される像(イメージ)は必要無い。網膜は光学的配列を捉え、その配列そのものが視覚情報となるからだ。それは私たちの意識の外にあるもので、ヒトの状態や行為にかかわらず存在している。
 しかし、アニメーションは映像であり、本来のイメージの意味から考えてもイメージである。だから、アニメーションの作り手が見せたいものに情報が片寄ることがある。
 普段の何気ない動作を改めて絵画的なアニメーションで作ると、高畑勲が指摘していたような「異化効果」によって、観客が持っている「動きの印象」ではないディテールが知覚される。このとき、アニメーションは作り手が「引き写した環境と動きの事実」であるとともに「思い描いた」ものとして機能し、非常に力強い表現となる。

写真研究会 2021年 第6回研究発表会開催のお知らせ【3月27日】

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日本映像学会 写真研究会
2021 年 第 6 回研究発表会開催のお知らせ
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日本映像学会会員各位

写真研究会の研究発表会を、新型コロナウイルス感染拡大防止のため下記のとおりオンラインにて開催致します。皆様のご参加をお待ちしております。

日本映像学会写真研究会
代表 倉石 信乃

【日時】
2021年3月27日(土) 19:00 開始 22:00 終了予定(日本時間)*オンラインによる開催。

【参加方法】*事前予約制会議システム zoom を利用して開催いたします。
下記 URL にあるフォームから事前にお申し込み下さい。いただいたメールアドレスに zoom の ID とパスワードをお送りいたします。
登録期限は 3 月 26 日(金)12:00 までとさせていただきます。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd3e4fHh_xfb4WhArYZW21zSNJhjWtWeAKR5DEbquosm7pThw/viewform

【発表者・発表内容】

発表1
「荒木経惟の「複写」について――1970 年代の作品を中心に」
篠田優(写真家・明治大学理工学研究科 建築・都市学専攻総合芸術系 博士前期課程)

発表2
「クィア実践としての「家族写真」」
寺田健人(写真家・東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 教育研究助手)

発表3
「「アノニマスな記録」としての写真――1960 年代後半日本におけるテクノロジー中心主義写真概念の成立について」
久後香純(ニューヨーク州立ビンガムトン大学美術史コース博士課程/ 早稲田大学招聘研究員)

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【発表要旨】

発表1
「荒木経惟の「複写」について――1970年代の作品を中心に」
篠田優(写真家・明治大学理工学研究科 建築・都市学専攻総合芸術系博士前期課程)

 本発表は、主に 1960年代後半から 1970年代前半に発表された荒木経惟の写真作品を貫く特徴的な方法論である「複写」を主題として扱う。
 荒木経惟は、個人としては異例ともいえる数の著作出版歴をもち、国内外で次々と展覧会が開催され続けていることを踏まえれば、極めて多作な作家といってもよいだろう。その荒木が、1964 年の『カメラ芸術』12月号に発表した作品「中年女(おんな)」に付した文章において、つぎのように述べている。

中年のご婦人ほどドラマティックなものはありません。(…)おんなを表現しているのです。ぼくは、それを複写してならべるだけでいいのです。[下線:引用者]

 ここで表明されている「複写」とは、その後も荒木が自らの作品を語る際に度々言及していることから、荒木の作品世界における鍵概念といっても過言ではない。
通例的な「複写」とは、美術品や書籍などを客観的に撮影する行為を指す言葉である。それではなぜ荒木は、そのような作者性の希薄な言葉を用いて、自らの作品や写真実践を言い表したのだろうか。本発表はその解明を目的とする。
 作品発表の名義をそれまでの「荒木のぶよし」から「荒木経惟」へと改めた上で、荒木が旺盛な活動を開始する 1970年代前半の写真状況において、堅固な作者性とは決して肯定的な意味だけを帯びるものではなかった。
 グラフジャーナリズムを象徴的に牽引した『LIFE』誌が終刊を迎えた時代において厳しく問われていたのは、戦前の新興写真運動から戦後の土門拳によって唱導されたリアリズム写真を経て、同時代の報道写真家へも引き継がれていた「近代写真」を支えるイデオロギーであった。
 そこでは独立した芸術としての写真を確立するために、卓抜な技能と社会への問題意識を兼ね備えた主体が要請されていた。また、そのような主体の確立は同時に、世界を静的な客体として成立せしめるものでもあった。
 だが、マス・メディアを通じて大量の映像が流通する時代において、そうした確固たる主体や、主体から画然と切り離された客体としての世界という想定はもはや機能不全に陥っていたといってもよい。むしろ映像という媒体において、主体と客体は、互いに構成し合うものとしてとらえられていたのである。
 そのとき、荒木や同時代の写真家及び批評家たちは写真を、芸術の閉域に囲い込むのではなく、一種のメディアとして、つまり「写真そのもの」と呼び得るような様態をとらえようとしていた。
 本発表では、荒木の「複写」を、作者性を相対化させることによって「写真そのもの」を現出させる試みとして分析する。そのために遺影やブロマイドといった「キッチュ」な写真への言及や、写真の意味を宙吊りにするようなモンタージュの実験がおこなわれていた。写真雑誌への掲載作品や展覧会への出展作品を参照しながら、「近代写真」を支えるイデオロギーへの対抗言説としての「複写」を明らかにしたい。

発表2
「クィア実践としての「家族写真」」
寺田健人(写真家・東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 教育研究助手)

 19 世紀前半に誕生して以来、写真は人々の思い出を記録する装置として機能してきた。特に、撮影カメラの軽量化と小型化に伴い、写真カメラは家庭に持ち込まれ、家族の日常を記録することに貢献してきた。写真がフィルムからデジタルへ主に移行した現代においても、スマートフォンやデジタルカメラがますます手軽に日常の記録を可能にしている。
 こうした日常を捉える写真実践の動向に関しては、1.展示方法と 2.作品を対象に先行研究が蓄積されてきた。例えば、展示方法の分析に特化した Richard Chalfen による研究 Snapshot: Versions of Life(1987)(1 に該当)は、家族間の日常を撮影したスナップ写真を私的空間と公的空間で展示する際に生じた問題を明らかにした。また、ジュリア・ハーシュによる「家族写真」を分析した研究「家族写真を読み解く:内容・意味・効果」(1981)(2 に該当)は、スタジオ撮影の家族写真が肖像画から引用されてきたことや、家庭内にカメラが持ち込まれた後の写真の意味を検証した。これらの研究は共通して、写真という装置がどのように家族観を表象させてきたかを読み解くうえで示唆に富むものの、現代写真史における「家族写真」の位置付けや定義については考察するには、新たな展示方法と作品に関する研究が求められる。
 本発表では、「家族写真」をテーマに作品を製作している作家を中心とし、マイノリティ・ポリティクスや芸術表現に基づく写真実践を検証することで、「家族写真」がどのような意味を持つのかクィアな視点からの読み解きを試みる。1980 年代以降におけるマイノリティの作家の実践が、写真史初期から続く「家族写真」を解体し、また彼女ら/彼らは伝統的な手法である「家族写真」を逆手にとり、家族そのものの撹乱を可能にしたという仮説を検証したい。

発表3
「「アノニマスな記録」としての写真――1960 年代後半日本におけるテクノロジー中心主義写真概念の成立について」
久後香純(ニューヨーク州立ビンガムトン大学美術史コース博士課程/ 早稲田大学招聘研究員)

 多木浩二は『日本写真史』において、写真を個人的な表現として見るのをやめ、「膨大な写真の群」として向き合うことによって、「現象学的といってもいいほど客観的な態度で、資料自体を語らしめる」ことが可能になると宣言している。この言葉は、1968 年に日本写真家協会の主催によって開催された「写真 100 年」展に編纂委員として携わり、実際に日本各地から集めた 50 万超もの写真と向き合った経験から語られた言葉であると推測できる。本発表では、多木を始め「写真 100 年」展の編纂委員たちが、写真は「アノニマスな記録」として存在するべきであるという言説を形成する過程を明らかにする。
 日本写真家協会に所属する多くの写真家たちが、写真家の地位向上を目指そうと活動していたなかで、写真は「アノニマスな記録」として存在するべきであるという主張は、写真家の主体性を否定するラディカルな挑戦であったとして先行研究においては一定の評価がされている。その一方で、「アノニマスな記録」として理想化された写真群の一つであった「北海道写真」の研究において指摘されたのは、「アノニマスな記録」として特定の写真表現を真の「リアル」として理想化する行為は、それぞれの写真が持つ歴史性を無視する結果においちったという事実であった。
 本発表では、「アノニマスな記録」という写真概念における歴史性の欠如に加え、多木ら編纂委員が写真について「現象学的といってもいいほど」の「客観性」をもったメディアであると定義したこについても、歴史的に研究されるべき一つの言説として批判的検討の対象とする。「アノニマスな記録」とは写真家の主体性を否定する言説であったことに加え、写真イメージに付随する「客観 性」をカメラというテクノロジーによって保証されたものとして絶対視する言説であったことを明らかにする。この目的のもと、編纂委員たちが一方で『日本写真家協会会報』を公式の記録の場としながら、『アサヒカメラ』や『写真映像』等の非公式の場へと言論活動の場を広げることによって、「テクノロジー中心主義的美学」を形成していった過程を批判的に検討する。
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以上
日本映像学会写真研究会
代表 倉石 信乃
明治大学理工学部
〒214-8571 川崎市多摩区東三田 1-1-1

中部支部2020年度第2回研究会 【3月10日】

2020年度 日本映像学会中部支部 第2回研究会

日本映像学会中部支部は、3月10日(水)に、
第2回研究会をオンライン開催します。
(担当校:名古屋学芸大学)

中部支部会員による1件の研究発表と学生プレゼンテーションを予定しています。
当日は、中部支部会員ではない方もこちらのページからご視聴いただけます。
http://jasias-chubu.org/wp/?p=806
(お申し込み不要)

「学生プレゼンテーション」は、中部圏の8大学からの参加です。
各校の推薦作品を作者である学生が発表します。
特設サイトで各大学の作品を視聴してから、
研究会での発表を見ていただければ幸いです。
※特設サイトでの作品公開は、研究会当日 3月10日まで
https://sites.google.com/view/jasias-chubu-202103

お問合せ:
日本映像学会中部支部
jasias.chubugmail.com
http://jasias-chubu.org/

以下、詳細
―――――――
2020年度 | 日本映像学会 中部支部 | 第2回研究会
2021年3月10日(水)13時30分よりオンライン開催
担当校:名古屋学芸大学
http://jasias-chubu.org/wp/?p=869

13:30 – (配信開始)開会あいさつ
13:35 – 14:05 研究発表(発表20分、質疑応答5分 予備時間5分)
<休憩>
14:10 – 15:20頃 学生作品プレゼンテーション I
<休憩>
15:30 – 16:40頃  学生作品プレゼンテーション II
閉会

◎研究発表(1件)
「Fluctuate」「Fluctuate 2」について
森真弓会員(愛知県立芸術大学)
要旨:
この2作品は、日ごろ意識しているモノやコトの隙間にある、無意識を意識させることによって、新たな気付きを生み出す効果を狙ったVR映像である。重ねられた環境音とスリットやグリッドで区切られた風景は、見る人が何を意識するかによって揺れ動く。知っているようで知らない、わかりそうでわからない、非日常のような日常を表現している。

◎「学生作品プレゼンテーション」
参加校:
愛知県立芸術大学, 愛知淑徳大学, 静岡文化芸術大学, 椙山女学園大学, 中京大学, 名古屋学芸大学, 名古屋芸術大学, 名古屋文理大学(8校)

当日は、作品制作者の学生によるプレゼンテーション(3分程度)と質疑応答(5分程度)が行われます。作品は、事前に下記特設サイトよりご視聴ください。
<中部支部第2回研究会|学生作品プレゼンテーション|特設サイト>
https://sites.google.com/view/jasias-chubu-202103

以上

アジア映画研究会(第3期 第5回)開催のお知らせ【4月6日】

アジア映画研究会会員/日本映像学会会員各位
「日本映像学会アジア映画研究会(第3期第5回)開催のお知らせ」

アジア映画研究会(第3期第5回/通算第38回)を下記のとおり開催します。

日時:2021年4月6日(火)18時~20時
(ZOOMによるオンライン開催:事前申込制)
申込:3月31日(水)締切
下記URLより所定のフォームにご記入の上,お申込みください。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSevkf4SZctEvPfNtcIuitirjyXJQDpIZwgoEvzHM_R_in1KKg/viewform

内容:
報告:台湾アニメーション展望(25分+討議)
稲見公仁子(台湾映画研究家)
要旨:アニメーション映画『幸福路のチー』(原題:幸福路上)は、東京アニメアワードフェスティバル2018でグランプリを獲得し、日本のアニメ業界人の支持も受けて一般公開された稀有な台湾映画である。台湾では、台北映画祭台北映画賞で秀作揃いの実写映画を抑えてグランプリを受賞した。監督のソン・シンインは、もともとは実写を目指していた人物で、本作の後は実写の製作に入っていると伝え聞く。じつは、過去にも台湾では実写映画で名の通った監督が長編アニメーション映画に取り組んだ例が散見される。これに対し、日本などはアニメーションと実写の演出家の間にきっぱりとした線引きが見られる。この差異は何なのか。台湾アニメーションの発展過程を見据えながら検証してみたい。

発表:ミャンマー映画史研究に向けての整理(75分+討議)
山本文子(三重大学ほか非常勤講師)
要旨:報告者はこれまで断片的にしか語られてこなかったミャンマー映画の歴史について、限られた資料からではあるが、その輪郭をとらえることを試みている。2020年は初のビルマ語映画製作から数えてちょうど100周年であった。本報告では政治体制の観点から①植民地時代、②議会制民主主義時代、③軍政期前半:社会主義時代、④軍政期後半:市場経済化以降、⑤民主化以降の五つに区分したうえで、ミャンマー映画の歴史を整理する。報告者の主たる関心はミャンマー映画がいかにその社会に影響を与えてきたかにあり、ミャンマー映画の歴史をとくに社会的文脈に位置付けながら理解したいと考えている。本報告はそのための予備段階に位置づけられる。

皆様のご参加をお待ちしております。

4月座長:金子遊