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日本映像学会 写真研究会
2017年度第1回研究発表会開催のお知らせ
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日本映像学会会員各位
写真研究会の研究発表会を下記のとおり開催致します。
皆様のご来場をお待ちしております。
日本映像学会写真研究会
代表 前川 修
・日時===========================
2018年3月20日(火曜日)14:30開始-18:00終了予定
発表後に質疑応答の時間があります。
・会場===========================
同志社女子大学今出川キャンパス 楽真館R006教室(座席数44)
〒602-0893 京都府上京区 今出川通寺町西入
最寄り駅:地下鉄烏丸線「今出川駅」
交通アクセス
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/access/imadegawa/index.html#p3
キャンパス案内図
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/access/imadegawa/campusmap.html
発表者・発表内容:
報告1 舘かほる氏(神戸大学人文学研究科博士前期課程)
「内なる他者の身体表象――鳥居龍蔵の千島アイヌ調査写真をめぐって」
報告2 笠間悠貴会員(明治大学理工学研究科博士後期課程)
「さかさ双眼鏡と蜃気楼――渡辺兼人の80年代初期作品と風景論を辿る」
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発表要旨
舘かほる(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
「 内なる他者の身体表象――鳥居龍蔵の千島アイヌ調査写真をめぐって――」
本発表では写真を用いた先駆的な調査で知られる人類学者、鳥居龍蔵の撮影した写真表象について考えてみたい。とくに彼が千島アイヌ調査で撮影した写真、その身体表象を素材にすることで、そこにどのようにして内なる他者としてのアイヌが表象されていたのかを探りたい。
本発表ではまず、北海道開拓以降にアイヌが日本でどのように政治的に位置づけられていたのかを確認し、そのうえで当時の日本の人類学がアイヌをどのように「内なる他者」として写真資料を用いて表象していたのかを検討する。鳥居の人類学調査は、日本の旧植民地であった台湾、満州、樺太など、日本の周縁の民族を対象としたものであった。その調査の目的は、日本人の起源を突きとめることであった。当時の日本の人類学では大森貝塚の石器発見を発端とした、アイヌと日本人の起源(=大森貝塚で発掘された石器時代人)との関係をめぐる論争が起きていた。それがコロポックル論争である。鳥居の研究もまた、結果的にアイヌに及ぶことになり、特に千島アイヌを日本人の起源として注目し、調査を行っていった。
鳥居の千島アイヌに対する理論的な構えを考える上で、当時の対アイヌ政策の文脈と人類学の言説におけるアイヌの立場の関係は重要である。鳥居が千島アイヌを対象に調査をおこなった1890年代から1910年代当時アイヌは人類学において言説構築のために身体的・文化的差異を強調されていた。しかしそれと同時にアイヌは明治政府から公布されるあらゆる同化政策の対象でもあり、彼らは文化的慣習の実践を禁止されていた。つまり当時のアイヌは、同化政策が進められる一方で、人類学的に特権的な対象として日本人との差異を強調されながた扱われていたのである。それは鳥居にとっても同様にアイヌは同化政策の対象となりうる他者でありながら、同時に自文化の起源(あるいはそれに近い)民族でありうるという考えの基に認識されていたのである。これはつまり、自己(日本)のなかに属しながらも他者として自己と区別される対象、すなわち内なる他者ということができるだろう。
発表の後半では、次に鳥居が撮影した千島アイヌの写真表象およびその枠組みとなる理論を明らかにする。ここで重要なのが形質人類学という骨格の特徴によって民族の分類を行う方法であり、鳥居もこの分類のために用いる写真を多く残している。このような写真による身体の表象方法は欧米にその先行例をみることができる。それはアラン・セクーラが示したようにフランシス・ゴールトンやアルフォンス・ベルティヨンがおこなった犯罪者や病人といった社会的な他者を表象する方法である。さらに身体を写真によってアーカイヴすることで社会的他者の領域を画定し、自己との断絶をおこなうのである(Allan Sekula,”The Body and Archive,” October, Vol. 39(Winter, 1986), p. 7)。こうした欧米の方法はたしかに日本の人類学でも輸入され、実践されている。しかし、日本の人類学においては、自己の源泉を求めるために内なる他者の身体を写真でアーカイヴするのである。そうして形成されたアーカイヴがどのような意味をもち、そこで写真はどのような機能をもっていたのかについて考察していきたい。
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笠間悠貴(明治大学大学院理工学研究科建築都市学専攻総合芸術系博士後期課程)
「さかさ双眼鏡と蜃気楼――渡辺兼人の80年代初期作品と風景論を辿る」
金井美恵子との共著『既視の街』で第7回木村伊兵衛写真賞を受賞し、現在まで30年以上ほぼ毎年展覧会を開催してきた写真家・渡辺兼人の80年代の写真作品と、本人による初期の写真論を辿る。スクエア・フォーマットで切り取られたモノクロの風景写真には、どこで撮影されたのかを伝える情報、例えば目印となる建物や、特徴的な地形、地名を示す文字などが注意深く避けられている。また、仰角や俯角を用いることもほとんどなく、カメラはアイレベルから水平に対象に向かっている。その端正な構図からは、はっきりとした意思を持って撮られたことが伝達される一方で、その目的や動機を読み解くことは非常に困難である。そのため、シャッターが切られたというその事実だけが際だって前景化している。こうした渡辺の写真を評するのにこれまで用いられてきた「何も写っていない」という言われ方や、「不在感」に関して、実証的に論じる。
本発表は三つの側面から渡辺作品を考察する。まず、銀座ニコン・サロンで1981年に開催された展覧会「既視の街」、それに続いてツァイト・フォト・サロンで1982年から84年まで3年連続で開催された展覧会「逆倒都市(さかさとし)」に出品された風景写真の撮影場所を、そのフレームの中の極めて少ない情報と、1970年代の航空写真を照らし合わせることで特定していく。渡辺はこれまで、自身の作品がどこで撮影されたかを明記したことはなく、場所を特定する作業は作家の意図に対して逆行することになるが、写真には必ず時間と場所が伴うものであるという信念で、50点以上の場所を探し当てた。ただそれはあくまでも場所を解き明かすこと自体に目的があるのではなく、撮影された場所が作品にとってまた作家にとってどういう意味を持つのかを明らかにしたい。次に、「既視の街」は金井美恵子によるテクストと組み合わされ発表された経緯があるため、小説としての側面にも注目する。渡辺の写真は、物語の中に描かれる主人公が見た夢の場面と連動している。新潮社版『既視の街』(1980年)のレイアウトや物語に着目し、写真とテクストがどのような関係を結び、「既視感」を構築するのかを考証する。最後に、雑誌『芸術生活』1974年3月号の特集「謎の写真家アッジェの世界」に寄せた渡辺の論考「存在の乱反射」を検証し、写真に対する渡辺の主張、構想、興味に触れる。この論考で渡辺は、蜃気楼をモチーフにした江戸川乱歩の奇怪小説『押絵と旅する男』を取り上げ、蜃気楼や双眼鏡の像といった光学現象の顕在化と、写真を潜在的に支えている光学的な構造をパラレルに捉え、写真における被写体の存在と、撮影者の立場について検討している。以上を分析することで、渡辺作品の重層的な世界に迫り、写真に内在する撮影された場所と時間が、鑑賞者によってどのように受容されるのかを探求したい。
以上
日本映像学会写真研究会
代表 前川修
〒657-0013 兵庫県神戸市灘区六甲台町1−1
神戸大学人文学研究科 前川修研究室