関西支部第95回研究会【12月10日】及び関西支部総会

日本映像学会関西支部第95回研究会(12月10日)及び関西支部総会のお知らせ

下記の通り日本映像学会関西支部第92回研究会を開催いたします。対面にて実施いたしますが、リモート(Zoom)併用で行ないます。関西支部会員に限らず多くの方の参加をお待ちしています。

日時:2022年12月10日(土)午後2時より4時頃まで。
会場:大阪芸術大学 7号館51教室
リモート参加を希望される方は12月9日午前中までに下記リンク(Google form)から申し込みをお願いします。研究会前日にZoom招待をメールにてお送りいたします。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScRYe4n9TuEQ_cP4F7D19QpyDBTAHr-2L83A0ZclNlLMH5kJQ/viewform

研究発表1:「もの」から意味を剥がすイメージ:1960年前後の松本俊夫と勅使河原宏
発表者:神戸大学国際文化学研究科 大谷晋平会員
要旨:
 本発表は、松本俊夫と勅使河原宏による、被写体に対する固定観念を解体する1960年頃の映画活動について考察するものである。
 1950年頃より安部工房や花田清輝らのアヴァンギャルド芸術運動、「具体」や「実験工房」など、文学、美術、音楽、映画などの分野横断的な芸術運動が盛んになり、松本と勅使河原の映画もこうした運動の一部に位置づけられてきた。彼ら(特に松本)は、1950年代後半より、映画が戦時中に戦意高揚や、1950年代の共産党のプロパガンダに用いられ、映画人がそれらに無節操に追従してきたことを批判し、人間が疎外される状況を作家が主体的に探究してそれに抗える映画表現を目指して同時代のアヴァンギャルド芸術と共鳴した。
ただ、ここで重要なのは、あくまで理念の共有という観点から彼らがアヴァンギャルド運動の上に位置付けられてきた点である。例えば松本は、そうした時代的な潮流の上で、「前衛記録映画論」において、「もの」に付随する意味が映像によって変容させられ得る可能性について議論を展開したが、具体的にその論に沿う映画表現とはどのようなものであり、スクリーンで提示されたイメージは終戦から1960年頃の日本映画史的にいかに位置付けられるのだろうか。
 こうした疑問を念頭に、本発表では、松本によるイメージに関する具体的な方法論を整理しつつ、彼に共鳴し、草月シネマテークなどでも共に活動した勅使河原の『砂の女』(1964)を中心に、「もの」に付随する意味を変容させる/させないイメージのあり方を考察するが、そこでは、我々が普段目にする物の非日常的なイメージを提示して観客を惹きつける、科学映画の系譜が浮かび上がるだろう。すなわち、被写体の非日常的なイメージを用いて自由主義・民主主義教育を意図した占領下の教育映画をも射程に含めつつ、本発表では松本らによる被写体とイメージ、そしてイデオロギーの連関をめぐる活動を戦後日本映画史においていかに位置付けられるのか、その概観について検討する。

研究発表2:〈千年シアター〉と1980年代関西の自主上映文化
発表者:神戸映画資料館研究員 田中晋平会員
要旨:
 〈千年シアター〉は、小川プロダクションによる『1000年刻みの日時計―牧野村物語―』(1986年)を上映するため、1987年夏の京都に土と藁と丸太を用いて建設され、一ヶ月後に解体された仮設の劇場である。本発表では、〈千年シアター〉が設立された過程を、残存する資料(記録映像含む)と証言から辿り直す。その建設に参加した関西における自主上映グループと当時の小川プロの映画がどのように協働していったかを考察し、転換期にあった1980年代の映像文化の実態に迫りたい。
 当時大阪で景山理たちが発行してきた『映画新聞』(1984年創刊)は、誌面にて『1000年刻みの日時計』が完成に至るまでの連載、また〈千年シアター〉の建設の詳細、さらにその全国各地での上映のプロセスについても報告を掲載しており、当時の小川プロと上映グループの関係を考えるための重要な資料として活用できる。また、〈千年シアター〉のドキュメンタリー映像も、『京都鬼市場・千年シアター』(1987年)など複数存在している。発表内では、こうした記録映像の一部にも言及しながら、小川プロの映画上映の変遷、およびローカルな上映文化に与えた影響を検討していく。

・研究会終了後、同会場にて2021年度日本映像学会関西支部総会を行います。4時半頃開始予定。

会場:大阪芸術大学7号館51教室
近鉄南大阪線「喜志」駅下車スクールバスまたは金剛バス(近つ飛鳥博物館博物館前行き)東山(芸大前)下車
交通アクセス:https://www.osaka-geidai.ac.jp/guide/access
キャンパスマップ:https://www.osaka-geidai.ac.jp/guide/access/campus

日本映像学会関西支部事務局
〒585-8555大阪府南河内郡河南町東山469
大阪芸術大学映像学科内(大橋)
Tel: 0721-93-3781(内線3327)
email:eizoukansaigmail.com

東部支部研究発表会開催のお知らせ【12月3日】

このたび東部支部では対面での研究発表会を開催することになりました。
当日はどなたでも聴講いただけます。
事前予約などはございませんので会場に直接お越しください

詳細は以下の通りです。

開催日時:2022年12月3日(土)12時30分〜17時40分

会場:日本大学芸術学部(東京都練馬区旭丘2-42-1)A棟A-301教室

発表時間35分・質疑応答10分 合計45分

プログラム(予定)

①12時30分〜13時15分
・朝倉 由香利(日本大学大学院芸術研究科)
 発表タイトル:楽曲《夢二のテーマ》が使用された二つの映画 ―『花様年華』と『夢二』―
②13時20分〜14時05分
・王 馨怡(名古屋大学人文学研究科映像学分野)
 発表タイトル:「身体を再考する:『へんしんっ!』(2020年)と『あなたとの再会』(2021年)における身体障がい」
③14時10分〜14時55分
・Werner Steffan (ヴェルナー シュテファン)(日本大学大学院芸術学研究科)
 発表タイトル:『日本特撮の悪のヒーロー:影のアーキタイプとその発展に関する研究』

14時55分〜15時15分休憩

④15時15分〜16時
・GONG ZHU(キョウ シュ)(東京工芸大学)
 発表タイトル:映画『12人の優しい日本人』における脚本家の受難=情熱
⑤16時05分〜16時50分
・SEMSEDDIN EVGIN(日本大学大学院芸術研究科)
 発表タイトル:『お嬢さんの乾杯』における家族の図像
⑥16時55分〜17時40分
・石毛みさこ(日本大学芸術学部放送学科助教)
 発表タイトル:連続テレビ小説のあゆみとこれからの展望

主催:日本映像学会東部支部
問い合わせなどは
東部支部担当:安部 裕
メール:abe.yutakanihon-u.ac.jp
までお願いいたします。

写真研究会 2022年 第9回研究発表会開催のお知らせ【11月23日】

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日本映像学会  写真研究会
2022年 第9回研究発表会開催のお知らせ
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日本映像学会会員各位

写真研究会の研究発表会を、新型コロナウイルス感染拡大防止のため下記のとおりオンラインにて開催致します。皆様のご参加をお待ちしております。

日本映像学会写真研究会
代表  佐藤守弘

【日時】
2022年11月23日(水・祝) 18:00開始 20:30終了予定(日本時間)*オンラインによる開催。

【参加方法】
*事前申し込み制
会議システムzoom を利用して開催いたします。下記URL にあるフォームから事前にお申し込み下さい。
いただいたメールアドレスにzoom のID とパスワードをお送りいたします。
申し込みURL https://forms.gle/b2eE8Zuvh1qnWkYCA

【発表 ・発表内容・座談会】
発表1
「物質としての肉体:中平卓馬と写真家論」
ダニエル・アビー(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校大学院美術史科博士課程)

座談会
「ゲルハルト・リヒター展(東京国立近代美術館/豊田市美術館)を語る」
司 会:土屋誠一(沖縄県立芸術大学)
登壇者:中村史子(愛知県美術館)、橋本一径(早稲田大学)ほか

【研究発表の要旨】
発表1
「物質としての肉体:中平卓馬と写真家論」
ダニエル・アビー(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校大学院美術史科博士課程) 

写真史は主に、「写真とは何か?」という存在論的な問いを続けてきた。本発表において重視することは「写真」という客体ではなく、「写真家」という主体である。したがって本発表では、写真史的な考察に際して存在論ではなく現象学という別の方法論を提案したい。通例、主体への関心は、脱政治的な論拠となりがちである。しかし中平卓馬(1938−2015)の作品を例示するならば、写真家という主体を論ずることの政治性が明るみに出るであろう。

現象学は人間の肉体的な感覚を研究する手法である。60年代以降、現象学は美術史の一つの方法論として認められてきており、作品を見る鑑賞者との関係について問う手段として扱われてきた。その場合現象学の方法論的な適用は、鑑賞者と作品の間に生まれる意味という範囲を超えることはない。しかし、現象学というのは意味だけではなく、世界と肉体の関係そのものについて考究し、いかに肉体的な感覚が「外部」あるいは「他者」と絡んでいるかを示すものでもある。そうであるならば、現象学は政治的な側面も持ちうるであろうか。

現象学的に考えれば、写真家はあくまで肉体的な主体である。『プロヴォーク』1号で中平と多木浩二が「言葉がその物質的基盤、要するにリアリティを失」っていると語ったのはよく知られていることである。ところが、言葉の安定性がなくなれば、どんな物質が代わりに現れるだろうか? 本発表では肉体そのものが立ち現れると主張する。中平や多木は、肉体について考えるのに伴って、積極的に写真家そのものを考えるようになっていく。

当時、『プロヴォーク』で現象学者のメルロー=ポンティを引用したのも、偶然ではないように思われる。実際に、60年代後半において肉体というのは政治的な意味を持っていた。日向あき子が唱えた「肉体的思考」が示しているように、肉体は反文化的な可能性を持っていることが学生運動から李禹煥に至るまで通用していた。「プロヴォーク」の政治性は「1968年」に関連があるとよく指摘されるが、運動よりも肉体への関心にあったのではないかと思う。

この政治的な肉体が中平の『プロヴォーク』2号で発表された作品にも現れている。これら10枚の写真は世界と肉体の間を仕切れない境界線そのものがインデックスされている。いかに肉体が物質として言葉と交代しても、肉体そのものには内面的な同一性がない。しかし写真を通じて、世界と肉体との曖昧な、ブレた関係性が浮かび上がるのである。本発表では、中平の肉体的な写真と歴史の共振を分析しながら、写真史の新たな方法論の提案を試みる。

座談会
「ゲルハルト・リヒター展(東京国立近代美術館/豊田市美術館)を語る」
司 会:土屋誠一(沖縄県立芸術大学)
登壇者:中村史子(愛知県美術館)、橋本一径(早稲田大学)ほか

今年の6月から10月初頭まで東京国立近代美術館で行われた「ゲルハルト・リヒター展」は多くの観客を集めて閉幕し、現在では豊田市美術館に会場を移して来年の1月まで開催される予定である。リヒターの作品を集めた回顧展としては、2005年から06年にかけて金沢21世紀美術館と川村記念美術館で行われて以来ということで、今回の展示には、開催前から大きな期待が寄せられていた。また、今回の展示には、ここ10年以内に制作された作品——写真プリントに油絵の具を塗った〈オイル・オン・フォト〉シリーズなど——が多く展示され、彼の旺盛な制作活動を強く印象付けた。

リヒターは、大まかには画家として位置づけられる芸術家であるが、1960年代の〈フォト・ペインティング〉から、近作の〈オイル・オン・フォト〉まで、写真と絵画の境界を融解させるような作品が多く見られるのは周知のことであろう。またプライヴェートな写真やファウンド・フォトを張り交ぜた〈アトラス〉シリーズも思い起こされる。さらにはガラスなどの反射を利用したさまざまな作品は、根元的な意味で映像的な作品であるとも言えよう。もちろん、今回の展覧会の話題の中心であった4点の絵画《ビルケナウ》は、アウシュヴィッツ第2収容所(ビルケナウ)で隠し撮りされた4枚の写真が秘められている。

今回の写真研究会では、このように写真イメージと絵画を往還する——《ビルケナウ》の写真複製も展示されていたことも思い起こそう——リヒターと、その大回顧展を議論の俎上に挙げた座談会を企画した。問題を提起するのは、キュレーターとして自らも写真の枠を超えるような展覧会を数多く企画してきた中村史子と、先述の4枚の写真について書かれたディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』(平凡社、2006)の日本語訳を手掛けた橋本一径の両名である。そこで提起された問題を巡って、土屋誠一の司会のもと、自由に討議を繰り広げたいと考えている。
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以上
日本映像学会写真研究会
代表 佐藤 守弘
同志社大学文学部
〒602-8580 京都市上京区今出川通烏丸東入

アジア映画研究会(第3期第14回)開催のお知らせ【12月6日】

アジア映画研究会(第3期第14回/通算第47回)を下記のとおり開催します。
久しぶりのオンライン研究会ですので、ふるってご参加いただければ幸いです。
日時:2022年12月6日(火)18時~20時
場所:Zoomによるオンライン開催/事前申込制
申込:12月1日(木)締め切り

下記URLより事前登録してください。 登録後、ZOOMミーティングのアドレスが届きます。
https://docs.google.com/forms/d/1TlERjKcX6Jn3gtmxb55nUftgsIKM9vXpck2YAGHlMCU/edit

<内容>
①発表:拓 徹(大阪大学大学院人文学研究科)
【インド映画黎明期の作家P.C. バルアー:その再評価に向けて】
<要旨>P.C. バルアー(Pramathesh Chandra Barua、1903~51)は、インド北東部(現アッサム州最西部ガウリープル)出身の映画監督・俳優であり、インド初のメジャーな国産ヒット映画として時代を画した『デーヴダース』(Devdas、ベンガル語版1935;ヒンディー語版1936)を作り上げた人物として知られている(監督しただけでなく、ベンガル語版では主演も務め、また彼自身の人生がこの作品の物語をなぞったという意味では、作品を体現した)。本発表では最初に、インドにおける映画興行と映画制作初期の歴史の概要をたどり、バルアー作品の文化的・社会的コンテクストについて確認する。
そのうえで、バルアーという、おそらくインド映画史上最初のメジャーな「作家」の特徴と性格について論じてみたい。バルアーの映画作品は、広い意味で今日言うところの「ボリウッド映画」(=ほぼヒンディー語映画)の源流に位置づけられる。そして、ボリウッド映画の性格について論じる際、インド内外でよく用いられるのが「(欧米映画の)リアリズムvs.(ボリウッド映画の)メロドラマ性」という図式である。ボリウッド映画の嚆矢として後世に大きな影響を与えたバルアーの『デーヴダース』はこのため、広い意味でボリウッド的メロドラマ性の源流と考えられることが多いが、本発表では、バルアー作品の主な特徴は反メロドラマ性にあることを作品の分析から導き出し、この特徴に表れた映画作家バルアーの姿とその意味について考察を試みる。
【座長松岡より】
P.C.バルア―の監督作『Devdas』(1936/ヒンディー語/英語字幕付/132分)は下記のYouTubeアドレスで見られます。バルア―自身も、ヒロインのパロが後妻として嫁ぐ先の息子として出演しています。途中広告が入るのが難点ですが、音声、画像共にまずまずですので、ご覧になってみて下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=8RgNcEC-IR0&t=1120s
 
②発表:高倉 嘉男(インド映画研究家、豊橋中央高等学校校長)
【「インド映画」の誕生~マルチプレックス革命とOTT革命】
<要旨>多くの日本人が誤解してきたことだが、「インド映画」という単一の産業は存在しない。なぜならインドには多数の言語があり、映画がトーキー化して以降、インドの映画産業は言語ごとに独立して発展してきたからである。つまり、いわゆる「インド映画」と呼ばれるものの実態は、インド各地で言語ごとに作られている映画産業の総体なのである。インド映画の専門家は一般に「○○語映画」という呼び方を好む。
しかしながら、近年インドにおいて「Pan-Indian Films(汎インド映画)」という用語が盛んに飛び交うようになり、ここに来て、一般の日本人が想像してきた架空の「インド映画」が実体を伴いつつある。
そこに至るまでの大まかな過程を、世紀の変わり目に起こったマルチプレックス革命から直近のOTT革命まで触れながら、私見を交えて解説する。

12月座長:松岡環

2022年度 秋期新規研究会登録申請について(応募締切:2022年11月25日12:00)

日本映像学会 会員各位

平素より日本映像学会の活動にご参加・ご協力いただき、ありがとうございます。
日本映像学会では会員のみなさまに活発な学会活動をおこなっていただくため、2022年度秋期の新規研究会を募集します。
従来の研究会にない枠組みでのご活動を検討されている方、映像学への新たな視点をお持ちの方、是非ご申請ください。

〆切は2022年【11月25日(金)12:00まで(厳守)】となっております。
みなさまのご応募お待ちしております。

日本映像学会 研究企画委員会

詳細のご案内や申請フォーマットは、以下よりダウンロードしてご使用ください。
2022年度秋期_新規研究会登録申請について.pdf
新規研究会登録申請書.xlsx