日本映像学会第48回大会(京都大学)<2022年6月4日・5日>について

日本映像学会第48回大会のウエブサイトを開設いたしました。

第48回大会(京都大学)


大会第二通信は、こちらです。
大会発表申し込みは、2月21日(月)締め切りです。
みなさまの発表及び参加をお待ちしております。

日本映像学会第48回大会実行委員会事務局
〒606-8501 京都府京都市左京区吉田二本松町
京都大学大学院人間・環境学研究科内
日本映像学会第48回大会実行委員会
大会ウェブサイト:http://jasias.jp/eizo2022
メールアドレス:kyoto-conventionjasias.jp

アジア映画研究会(第3期 第10回)開催のお知らせ【2月1日】

アジア映画研究会会員/日本映像学会会員各位
「日本映像学会アジア映画研究会(第3期第10回)開催のお知らせ」

アジア映画研究会(第3期第10回/通算第43回)を下記のとおり開催します。

日時:2022年2月1日(火)17時~19時 ZOOMによるオンライン開催
下記URLより事前登録してください。登録後、ミーティング参加に関する情報の確認メールが届きます。
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZYlceyupzwqHdZHRyACQ_7cJCIIfd0_v1mf

内容:
発表:曾文莉(中央大学非常勤) 
【1980年代の台湾映画における日本のイメージ――ニューシネマ以外の映画を中心に】
要旨:1980 年代の台湾映画と言えば、やはり台湾ニューシネマに注目が集まる。1980年代前半、ニューシネマは広く人気を得たし、興行収入もよかった。しかしこれは一時的な繁栄に過ぎなかった。興行市場を重視する民営映画制作会社も一時期郷土小説を多くリメークし、『金大班的最後一夜』(1984)、『嫁妝一牛車』(1985)、『孽子』(1986)などの文芸映画を作ったが、興行収入が低かった。結局コメディー映画、ヤクザ映画など、ギャグや暴力やエロを見せる娯楽映画をたくさん作った。今回の発表では、これまで看過されてきたニューシネマ以外の1980年代の台湾映画に注目し、その中に登場する日本の表象をニューシネマと比較して考察してみたい。

報告:秋山珠子(神奈川大学)
【偶然と選択:翻訳者が語る『侯孝賢の映画講義』】
要旨:侯孝賢が、その創作について余すところなく語った『侯孝賢の映画講義』(みすず書房、2021)。偶然と選択は、侯孝賢の映画制作やキャリア形成にいかに寄与したのか? さらには、語られた言葉から読む言語への翻訳にいかなる作用を及ぼしたのか? 本書翻訳者が偶然と選択のあわいで考察する。
(参考)
侯孝賢著・秋山珠子訳『侯孝賢の映画講義』みすず書房、2021
https://www.msz.co.jp/book/detail/09050/
皆様のご参加をお待ちしております。

2月座長:韓燕麗

クロスメディア研究会第15回研究会のお知らせ【2月5日】

 クロスメディア研究会第15回研究会のお知らせ

 日本映像学会クロスメディア研究会第15回研究会を下記の通りに開催します。
 今回は新型コロナウイルス感染拡大防止のためオンライ開催になります。
 会員の皆様の参加をお待ちしております。

【日時】:2022年2月5日(土)14:00-16:00

【参加方法】*事前申し込み制
 (Zoomによるオンライン開催)
下記URLより所定のフォームにご記入の上、お申し込み下さい。
 申込み後、ZOOMのID, PASSを送らせていただきます。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdqPf329I_-6EJVEj0FCD1DhnUjgne2Pe2DKK639nqhcQ2kug/viewform?usp=sf_link

【講演概要】
  講演タイトル:アーカイヴのエクリチュール

 GHQの占領政策の中で、漢字かな交じりの日本語表記が、日本人の識字率を低くしてい
るという誤解があり、民主化を推進するために、ローマ字表記の導入が真剣に検討された
ことはよく知られている。ところが、1948年に実施された全国規模の調査の結果、却って
日本人の識字率が極めて高いことが立証されてしまった。自民族中心主義(エスノセント
リズム)の典型であろう。
 こうした圧力を受けながら、文部省は1946年秋に芸術祭を立ち上げ、サン・フランシス
コ講和条約締結後の1952年には、東京国立近代美術館を設置した。芸術祭の対象は、第2
回目の1947年には、演劇と音楽(洋楽)の2部門だったのが、翌1948年には、映画を含む
演劇、舞踊、音楽、放送(ラジオ)の5部門へと拡大された。実演を中心に構成された芸
術祭には、伝統的な古典芸能の擁護と欧米由来の現代芸術の摂取という2つの潮流が看取
されるだろう。
 東京国立近代美術館に映画事業(フィルム・ライブラリー)が設置されたのには
、MoMAが映画を収集していた先例があった。1969年には同美術館内にフィルムセンター
が設置され、2018年に6番目の国立美術館として、国立映画アーカイブへと改組される。
隣接ジャンルの写真や漫画と比べると、文化政策における映画の優先的地位は明らかであ
る。
 フィルムセンターは、1990年に国際シンポジウム「フィルム・アーカイヴの4つの仕事
」を開催、「収集・保存・復元・カタロギング(目録化)」をその中心的業務に位置付け
た。アーカイヴ機関としての自己規定を確認したフィルムセンターは、国立映画アーカイ
ブへの改組に四半世紀先立つ1993年、FIAF(国際フィルム・アーカイブ連盟)に加盟した
。FIAFが設立された1938年は、トーキーへの移行に伴い、サイレント映画を保存する意味
が明確化された時期であり、翌1939年には映画法が制定されている。
 ここで注意したいのは、美術館(ミュージアム)、図書館(ライブラリー)、アーカイ
ヴといった名称の混在である。こうした表記のゆれは、京都文化博物館、福岡総合図書館
といったフィルム・アーカイヴ部門を有する日本の類似組織にも見られる。(議論を先取
りして言ってしまえば、唯一無二の存在に、反復可能性のある言葉で名付ける行為には、
原暴力が秘められていることになる。)
 周知の通り、ミュージアムの語源は、「ムーサたちの館」を意味するムセイオンmuseion
に由来する。ビブリオテーク(フランス語の図書館)の語源は、やはり「文庫」を意味する
ビブリオテーケーbibliothekeだが、これはアポロドーロスの『ギリシャ神話』の原題とし
ても使用されている。アーカイヴの語源は、デリダが『アーカイブの病』(1995)でも指
摘しているように、「アルコン(アテナイの執政官)の家」であるので、三つの組織の中
で、政治的な色彩が最も濃厚な言葉でもある。
 デリダの『アーカイブの病』は、1994年のロンドンで、国際精神医学・精神分析史協会
、フロイト博物館等の後援で開催された国際会議『記憶 アーカイヴの問い』の講演録で
ある。精神分析、ユダヤ人(ユダヤ性)、アーカイヴといったテーマが錯綜して論じられ
る一方、ヨセフ・ハイーム・イェルシャルミの『フロイトのモーセ』(1993)への批判が
展開された。ユダヤ人は滅びるかもしれないが、ユダヤ性は永遠であるとしたイェルシャ
ルミに対して、「世俗的ユダヤ人」と思われるデリダが反発したのは、当然のことかも知
れない。こうしたユダヤ人=ユダヤ性の問題に焦点を当てるのではなく、デリダがアーカ
イヴの「病=悪mal」と呼ぶものに対して、我々がどのような態度を取り得るのか、再考
してみたい。

【講演者】
西村安弘(東京工芸大学芸術学部映像学科 教授)

お問い合わせ
日本映像学会クロスメディア研究会
代表 李 容旭
〒164-8678東京都中野区本町2-9-5
東京工芸大学芸術学部映像学科内
e-mail:leeimg.t-kougei.ac.jp

ショートフィルム研究会第29回活動【2/19】のお知らせ

草月から次世代へメタモルフォーゼするアニメーション  「グループえびせん」と80年代のアマチュア・アニメーションの隆盛

アニメまたはアニメーションは、現在ポピュラーカルチャーの代表的なものの一つとして国内外から認知されている。娯楽的なコンベンションイベントから芸術的な国際映画祭までさまざまな場において、多種多様な作品を観ることができる。特にデジタル化が進んだ2010年以後は、少なくない個人や少人数制作によるアニメーション作品がオンライン上で配信されるようになった。このような個人制作のアニメーションは、デジタル化以前に遡ると、どのような文脈を持つのだろうか。
国内で個人によるアニメーションが注目を集める契機となるのは1960年に草月会館で開催された「アニメーション3人の会」による上映会以降である。個人作家達による実験的なアニメーションは国内外で高い評価を得る。70年代に入りそれまで作家の交流と登竜門的場を提供してきた草月アートセンターが解散し、作家達は新たに「日本アニメーション協会」を設立する。また彼らはワークショップを通じ次世代育成にも尽力する。その受講生らは実験系・商業系作品などさまざまな作品から影響を受けゆるやかに新しいアニメーション作品を形作り、80年代のアマチュア・アニメーションのムーブメントを牽引する。
草月で実践された実験的な試みや形式を受け継ぎ、そしてメタモルフォーゼさせながら新時代のアニメーションを作り出す作家たちの活動は、ロシアの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインが言及したアニメーションの魅力の本質「どんな形式を呈することもできる」「原形質性」にも通底するといえる。それは、手描きのキャラクターが可塑的に自由に変形できることと同様に、動きや演出、形式などを先行する作家から受け継ぎつつも自己流に変形していく遊びや試みの実験場ともいえるのである。
本研究会では未だ研究が寡少な個人制作アニメーション、とりわけ草月系作家から次世代の作家へと受け継がれたアニメーション制作の方法論と次世代のアニメーション作家たちが牽引した80年代のアマチュア・アニメーションのムーブメントを「原形質性」や「メタモルフォーゼ」をキーワードに、当時最も注目されたアニメーショングループ「グループえびせん」の中心的作家であるはらひろし。氏と角銅博之氏を招聘しインタビューを通じて実証的に検証する。

日時 2022年2月19日(土)13:30-16:00
オンライン開催(zoomを予定)
ご予約はこちらからお願い致します
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdRWyT-V1sYFLc0REsba2LM-7zMQG1cY7dZIu2tPBUIaOl7Sw/viewform

企画・インタビュアー 森下豊美(日本映像学会関西支部会員/関西大学ほか非常勤講師)
主催 日本映像学会ショートフィルム研究会

●ゲスト登壇者

はらひろし。
日本アニメーション協会会員。日本アニメーション協会主催第1回「アニメーション・ワークショップ」受講後、受講生のうち6人で「グループえびせん」をを結成。歯科医の傍らNHKのプチプチアニメ、「グループえびせん」の上映会など作家活動を行う。主な代表作に『セメダイン・ボンドとG-17号』シリーズがあり、同作は庵野秀明へも影響を与えた。

角銅博之
アニメーション監督・演出家。日本アニメーション協会理事。日本アニメーション協会主催第1回「アニメーション・ワークショップ」受講後、受講生のうち6人で「グループえびせん」を結成。主に東映アニメーションでTVアニメの監督や演出を行いながら「グループえびせん」上映会の運営も行う。主な代表作に自主制作アニメーション『錆びた館』(1982)、『白い手』(2005)、監督作品にTVアニメ『遊☆戯☆王』(1998)、『デジモンアドベンチャー』(1999)など。

※内容や出演者などは都合により変更となる場合もありますので予めご了承下さい