メディアアート研究会【9/22】、企画展示「拡張する知覚展」【9/15-】のお知らせ

日本映像学会会員各位

メディアアート研究会より、

平成30年度メディアアート研究会9月22日ならびに企画展示「拡張する知覚展」9月15日(土)ー9月30日(日)のお知らせをいたします。お立ち寄り頂けますようよろしくお願いいたします。
メディアアート研究会代表:関口敦仁

 

芸術講座/日本映像学会メディアアート研究会
「見えない世界から見えるもの」

講演:田中みゆき(キュレーター/プロデューサー)
ディスカッション:田中みゆき、小鷹研理、関口 敦仁、ほか
日時:2018年9月22日(土)16:00~18:00
場所:愛知県立芸術大学芸術資料館演習室 入場無料

田中 みゆき
1980年生まれ、キュレーター/プロデューサー。21_21 DESIGN SIGHT、山口情報芸術センター[YCAM]、日本科学未来館に勤務後、フリーランス。障害を「世界を新しく捉え直す視点」としてカテゴリーにとらわれないアプローチを展開する。近年の活動に『義足のファッションショー』『“subliminal wave of light” otto & orabu×高木正勝 LIVE at Miraikan』(共に2014年、日本科学未来館)、『国際交流基金 障害xパフォーミングアーツ特集 “dialogue without vision”』(2016 年、KAAT神奈川芸術劇場)、『大いなる日常』展(2017年、ボーダレス・アートミュージアムNO-MA)、見えない人と音声ガイドを通してダンスを観る『音で観るダンスのワークインプログレス』(2017年~、KAAT神奈川芸術劇場)などがある。プロデューサーとして携わる映画、生まれながらの全盲者が映画をつくるプロセスを追うドキュメンタリー『ナイトクルージング』が2019年公開予定。http://miyukitanaka.com/

芸術講座問い合わせ先:芸術情報・広報課TEL.0561-76-2873(平日 9:00~17:00)

 

 

日本映像学会平成30年度メディアアート研究会企画展示
「拡張する知覚ー人間表現とメディアアート」

日時:2018年9月15日(土)ー9月30日(日)11:00ー17:00 月曜火曜休館
場所:愛知県立芸術大学芸術資料館 入場無料
「拡張する知覚展」問い合わせ:芸術資料館  TEL. 0561-76-4698

ゲスト/小鷹研理 (認知科学、メディア表現、名古屋市立大学芸術工学部准教授)
ゲスト/大﨑のぶゆき(アーティスト、愛知県立芸術大学美術学部准教授)
大泉和文(美術家、中京大学工学部教授)
ゲスト/BCL [福原志保・Georg Tremmel](バイオアーティスト/アーティスティック・リサーチ・フレームワーク)
山本努武(メディアーティスト、名古屋学芸大学メディア創造学部准教授)
ゲスト/木下雄二(美術家、愛知県立芸術大学美術研究科)
関口敦仁(美術家、愛知県立芸術大学美術学部教授)

人の知覚の拡張をテーマにメディアアートの新しいアプローチを問う展覧会。世界と接するインターフェイスとしての映像や情報のなかで、私たちは自身の肉体をどのように認知しているのであろうか。また、そのような状況を表現としてどのように評価しているのであろうか。これらの点に着眼し、この展覧会では目の前で起きていることが、私たちの体はどのように捉え、どのように接しようとしているのかという問いにアプローチしようとしている。認知科学的なアプローチや身体記号的アプローチを、自身で確かめながら外の世界へアクセスしようとする「拡張する知覚」をテーマに作品展示を行います。

 

写真研究会 2018年度 第1回研究発表会開催のお知らせ【9月12日】

******************************

日本映像学会 写真研究会

2018年度 第1回研究発表会開催のお知らせ

******************************

 

日本映像学会会員各位

 

写真研究会の研究発表会を下記のとおり開催致します。

皆様のご来場をお待ちしております。

 

日本映像学会写真研究会

代表 前川 修

日時===========================

2018年9月12日(水曜日)13:30 開始 -18:00 終了予定

発表後に質疑応答の時間があります。

 

会場===========================

早稲田大学(戸山キャンパス) 第11会議室(33号館低層棟6階)

〒162-8644    新宿区戸山1-24-1

交通アクセス

https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus

戸山キャンパス構内案内図

https://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2016/10/20161020toyama_campus_map.pdf

 

発表者・発表内容===========================

報告1 ゲスト/松井奈菜子(早稲田大学 文学研究科博士前期課程)

「地球表象と写真」(仮)

 

報告2 ゲスト/北澤周也(沖縄県立芸術大学 芸術文化学研究科博士後期課程 )

「東松照明と『日本』(1967年)―「群写真」概念の誕生と発展を辿る、遡及的読解の試み―」

 

報告3 孫沛艾(明治大学 理工学研究科博士後期課程)

「菅木志雄の「写真」について」

 

発表要旨

 

報告1

「地球表象と写真(仮)」

ゲスト/松井奈菜子(早稲田大学文学研究科博士前期課程)

 

本発表は、地球儀と写真の類似点を浮かび上がらせ、地球表象と写真の関係について考察するものである。地球儀は、古代ギリシャの時代から、人々が地球を知る手段としてつくられてきた。かつては地球儀と天球儀がセットで販売され、人々の地球や天体への関心は常に途切れることはなかった。写真術の発明以降、天体写真や地球の写真は、人々に宇宙への好奇心を駆り立てている。
地球が球体であるというイメージは、地球儀を通して人々が認識してきた。1889年第5回パリ万国博覧会では、地球の100万分の1サイズの地球儀が展示された。この地球儀は直径約13メートル、円周40メートルの大きさであり、地球儀を囲むように螺旋状のスロープが設置されていた。観者はここで地球儀を俯瞰することができ、見上げることもできた。この地球儀は、「大きな地球儀」でありながらも「小さな地球」という二重の感覚を観者に与える。これは、宇宙空間で地球の周りを飛行する以前の、地球を疑似体験する場であったと言えるだろう。19世紀は地理学や地質学が発展し、徐々に地球の姿が顕になる時期であった。それと同時に、人々の上空への関心も高まっていった。ナダールが気球から撮影した写真は、世界初の空中写真で有名である。ナダール以後、空中写真は飛行技術の発展とともに撮影高度が上昇していき、地上を俯瞰で観察する手段として利用されてきた。NASAのアポロ計画で月へ向かった宇宙飛行士たちによって、私たちの視点は地球上に留まることなく、宇宙から地球を捉えることが可能になった。それまで人々は地球に暮らしながらも、その地球自体を見たことがなかった。初めて本物の地球を目の当たりにした宇宙飛行士たちの言葉は、地球儀を通して知っていた地球との違いの気づきであった。
写真術の誕生前は、人々は客観的に捉えられた自分の顔を見ることができなかった。同様に、現在でも宇宙に行くことができるのは限られた人々だけで、私たちは地球を見ることができない。唯一写真を通してしか見ることができないという点において、「私」の肖像写真も地球の写真も、自己イメージである、と言えるだろう。母なる大地は「私」の身体の一部であり、宇宙から写された地球は肖像写真なのである。以上を踏まえた上で、地球を見ることとは私たちにとってどのような意味を持つのかを考察する。

 

報告2

東松照明と『日本』(1967年) 「群写真」概念の誕生と発展を辿る、遡及的読解の試み

ゲスト/北澤周也(沖縄県立芸術大学 芸術文化学研究科博士後期課程

 

本発表の目的は、1967年に写研より出版された東松照明(1930-2012)の二冊目の写真集『日本』を手掛かりに、東松が唱えた「群写真」概念の誕生経緯と発展を遡って解明することである。東松照明の初期写真集『日本』(1967年)は、東松が唱えた「群写真」概念の本質を写真集という形式において内包させた作品であり、そこでは「群写真」が、異なる時空間軸で撮影された写真群をイメージの類似性――構図やテクスチャーの類似――によって結合させることで表象困難な抽象概念――「戦後日本」――を、言わば事後的に立ち上がらせるシステムとして見出されるのだ。

「戦後日本」のイメージで構成された『日本』は、東松が1955年から1967年までの12年間に撮影した写真のうち、その間に既に発表されたものや未発表のものを含め、新たに「再構成」した写真集である。本発表では、そこに見出されるような異質な写真群――作品群――を意図的に再構成するという行為に関して、その再構成のされ方に着眼する。というのも、東松による写真の再構成が、彼を特徴づける重要な思想に基づいているからである。それこそが「群写真」なのだ。

「群写真」とは、東松が名取洋之助(1910-1962)の「組写真」のあり方に対して異議を唱え、写真の「読み方」の更なる可能性について主張し、提唱した東松のスタイルを決定づける概念である。東松によって「群写真」という言葉が実際に命名されたのは1970年のことであるが、その思想の前段は、1960年の「名取・東松論争」に見出すことが可能である。論争は、周知のとおり、写真の組み合わせと説明的なキャプションによって単線的なストーリーを明確に伝える手法としての「組写真」にこそ写真の可能性があると主張したベテランの名取と、当時「新しい写真」と評された若手写真家の東松との対立によるものであった。東松は、論争から10年後の1970年に「名取氏のいう組写真と区別するために」と前置きをした上で、自らの手法に「群写真」と命名したのである。

以上を踏まえて特筆すべきは、『日本』が、「組写真」からの決別を宣言した1960年の論争から、自らの方法論に対する明確な命名と定義が成された1970年までの葛藤と自立の10年間のうちに制作された作品であるという点だ。それ故、『日本』の内部には「群写真」の誕生と発展の痕跡を数多く見出すことが可能なのである。

本発表では、先行研究は存在するものの未だ不明瞭な点が数多く残されてきた「群写真」概念の本質を明らかにすると同時に、写真集という書籍形態の中で試みられた「群写真」には編集上のシステムとして如何なる普遍性が見出されるのかという点を、『日本』を主たる手がかりとして、「名取・東松論争」及び戦前の写真状況にまで遡及することで明確にしてゆく。

 

報告3

菅木志雄の「写真」について

孫沛艾(明治大学 理工学研究科博士後期課程)

 

本発表ではもの派の代表的な作家である菅木志雄の「写真」について考えてみたい。とくに初期の屋外での仮設的作品が撮影されること、また2006年以降頻繁に行われるようになったそれらの作品の再制作の機会に、再び撮影されることを題材に、それらの写真の中に、どのような思考と論理が内包されているのかを考察したい。

まず、菅だけではないもの派にとっての制作行為である物体表出と写真との関係を探り、そのことが日本美術史でどのように位置付けられていたのかを確認する。そのうえで菅以外に、写真を用いて表現していたもの派あるいはその周辺に位置づけられる高山登と榎倉康二と菅木志雄の異同を論じる。

彼らの作品で写真が用いられる目的の一つは、持続的・反復的に展示できない仮設的な美術作品を写真メディアの「記録性」に依存することで、実質的に代行させようとすることであった。1960年代、アメリカ人美術家ロバート・スミッソンは美術作品と展示場所の関係を探り、「サイト」(site)と「ノン・サイト」(non-site)の概念を導き出した。菅もまた、スミッソンの理論を踏まえた上で、エッセイでスミッソンの「行為の性質」についての論考を残している。

菅のスミッソンに対する関心の深さを考える上で、当時の「アースワーク」の文脈と写真の関係は非常に重要である。スミッソンもまた写真や映像と深く関わりを持った作家であるが、アースワークにおけるスミッソンの作品写真の意味を加味しつつ、菅の屋外での設置について議論を展開したい。

例えば1971年当時、アトリエを持っていなかった菅は「変則的」なやり方で、初期の代表作《狀況律》を制作した。イメージや感情の働きを一切排除する菅は、その代わりに思考や理念の多様性、場や状況の事実性などのほうをより制作上の重要なファクターとしていた。《狀況律》においては、湖水に浮かぶ強化プラスチックでできた板が水中に少し沈んでいる、一方で水面を通して見ることができる。このような状態はさらに大がかりで高名なスミッソンの代表作《スパイラル・ジェッティ》と同様、写真や映像によってしかうまく全体的に把握しにくいものである。

また菅は《狀況律》のような作品について、出来上がった当初はたしかにそこにあるのだが、客体に対する意識の流通作用がなくなると同時に、事物は解体するのだと言う。この局面について菅は、「有る」状態から「在る」状態に移行するのだと考えている。「有る」は「在る」に比して、観念や意識を前提にした存在の仕方を指しており、「在る」状態にすること、すなわち露わな物の実在(物自体)を出現させるためには、「有る」状態を時として「強引に」突き崩す必要があると菅はみている。「在る」状態は人間の個人的な観念と意識に囚われている「有る」状態よりも、永続性・普遍性と連関するが、このような「状態を超えてある」状態は、「仮設」されるほかはない。こうした逆説に、「永続性を仮設性によって表出する」という菅の造形的なプロセスは、写真がはかない一瞬を凝結させることで、永続性を指示する構造と相似性を持つとみることができる。菅の仮設的作品を写した写真は、ものそれ自体ではなく、そのものが置かれた周囲を含めた状況全体を記録し、保存するのである。

別の見方でいえば、菅の言う「有る」は刹那の存在と理解してもいいだろう。それと対照に、「在る」は永続的な状況を指している。刹那の存在が如何にして永続的な状態に移行しうるかというのは、菅の造形の矛盾に満ちた問いである。しかし、それは菅だけの矛盾ではあるまいし、仮設的提示の矛盾であり、かつ写真というメディウム/表現自体の矛盾とも言える。

菅のものの扱いは、「もの」と「もの」、「もの」と「場」、「もの」と「人」をつなぎ、囲い、相互依存させる。まるで、ものが新たな視覚の形式や状況まで出現させるかのようだ。そして、写真だけではなく、映像、映画、ミステリー小説と様々な手法を用いて多角的に、可視的な世界だけでなく不可視性をも取り込みつつ、根源的な世界の在り方を抽出しようとするのである。本発表ではそうした菅の試みの中で、写真の機能がどのような範囲と形式で関与しているかの一端を明らかにしたい。

 

以上

日本映像学会写真研究会

代表 前川修

〒657-0013 兵庫県神戸市灘区六甲台町1−1

神戸大学人文学研究科 前川修研究室

2018年度第1回(第18回)映像テクスト分析研究会開催のお知らせ【9月22日】

******************************
日本映像学会 映像テクスト分析研究会
2018年度第1回(通算第18回)研究発表会 開催のお知らせ
******************************

日本映像学会会員各位

映像テクスト分析研究会の研究発表会を下記のとおり開催します。
みなさまのご来場をお待ちしています。

日本映像学会映像テクスト分析研究会
代表 藤井仁子

■日時===========================
2018年9月22日(土曜日)15時30分開始~18時終了予定
発表後に休憩をはさんで質疑応答あり

■会場===========================
早稲田大学 戸山キャンパス 36号館2階演劇映像実習室(283教室/定員60人)
〒162-8644 東京都新宿区戸山1-24-1
最寄り駅:地下鉄東京メトロ東西線「早稲田駅」、副都心線「西早稲田駅」
交通アクセス
https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus
キャンパス案内図
http://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2016/10/20161020toyama_campus_map.pdf
*スロープは上らず、スロープと工事フェンスの間の狭い通路を抜けて31号館に
突きあたったところで右折し、正面の階段を上っていただくのが近道です。
(あるいはスロープを上がり、31号館と33号館の間を通って中庭を抜けてください。)

■発表者==========================
川﨑佳哉(早稲田大学)

■表題・概要===============================
奥行きという「闇の奥」——『市民ケーン』のスクリーンをめぐって

1939年に映画会社RKOと契約を交わしたオーソン・ウェルズが、ハリウッドでの監督第一作目としてジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』の映画化を企画したことは、映画史上の傑作として名高い『市民ケーン』(1941)の前史としてしばしば言及されてきた。主に主人公の回想形式で展開する一人称小説である原作と同様に、ウェルズはほぼ全編を主人公の視点から見せる=一人称カメラによって撮影するという構想を持っていたが、技術的な困難を多く抱えていたこの企画は予算の問題等から実現しなかった。
先行研究においては、この『闇の奥』の映画化企画が『市民ケーン』の同じく回想形式で進行する語りやカメラの視点に影響を与えた可能性について指摘されてきた。しかし本発表では、『市民ケーン』がこの企画から受け継いだものが、物語構造や映画スタイルの次元にとどまるものではなく、スクリーンと観客の関係という、映画というメディアの根底に関わるものであったことを明らかにする。ハリウッドにやってくる以前はニューヨークで演劇活動をしていたウェルズは、演劇と映画を比較し、後者が観客との関係という点である大きな問題を抱えていると考えていた。『闇の奥』の一人称カメラが、その問題に対する解決策として導入される予定であったことが資料の検討を通じて明らかになるだろう。また、こうした観点から『市民ケーン』を分析することによって、その問題意識がこの映画の画面を貫いていることを示していく。最終的には、『市民ケーン』の特徴として繰り返し挙げられてきた奥行きのある画面について、それが映画スタイルの問題ではなく、スクリーンと観客の関係を変革することを試みた『闇の奥』という実験の延長線上にあったことを論じたい。

******************************
お問合せ先:
日本映像学会東部支部 映像テクスト分析研究会
代表 藤井仁子
〒162-8644 新宿区戸山1-24-1
早稲田大学文学学術院
e-mail: jinfujii(a)waseda.jp

 

第4回ドキュメンタリードラマ研究会【9月9日】

第4回研究会を下記のとおり開催いたします。
是非、多くの皆様にご出席いただけましたら幸いです。

第4回「ドキュメンタリードラマ生みの親」今野勉作品をもう一度!

日時 2018年9月9日(日) 11:00-17:00 (10:30開場)
会場  千葉商科大学  7号館 1階 711教室
〒272-0851 千葉県市川市国府台1-3-1
・JR総武線「市川駅」下車 徒歩約20分
バス利用の場合は、駅前京成バス1番のりばから松戸駅行または松戸営業所行に乗車約10分 「和洋女子大前」下車 徒歩3分
京成線「 国府台駅」下車 徒歩約10分
·  キャンパスマップ
詳細URL(千葉商科大学webサイト内にあるアクセス情報です)
http://www.cuc.ac.jp/access/index.html

内容
これまでの研究により、1970年代に今野勉氏が演出した番組が「ドキュメンタリードラマ」として制作者や視聴者、
批評家などにも評価され定着していることが明らかになった。
そのことから今野氏は「ドキュメンタリードラマ生みの親」として定義されている。
すでに第1回研究会で今野氏演出の『欧州から愛をこめて』(1975)の上映と講演を行ったが、今回再びご登壇いただく。
現在、視聴することが難しい3番組をセレクトして、上映、講演、ディスカッションを行う。
今野氏がテレビ表現の可能性をどのように考え、ドキュメンタリードラマを演出したかたどっていく。

次第(タイムスケジュール)
10時30分 開場・受付
11時00分 研究発表(丸山友美会員の発表「『お荷物小荷物』について」30分)
11時40分 『遠くへ行きたい 天が近い村』(1973年)(30分)
12時10分 昼休み
13時00分 『天皇の世紀 26話・絶筆』(1974年)(30分)
13時30分 『火の国の女ー高群逸枝伝』(1977年)(60分)
14時30分 休憩、会場設営
14時40分 上映作品の解説、議題提供(中垣恒太郎会員)
15時00分 今野勉氏 講演・ディスカッション(2時間)
17時00分 終了
18時00分~ 懇親会(市川駅付近)

今野勉氏 プロフィール
演出家・脚本家。1936年秋田県生まれ。北海道夕張市育ち。1959年ラジオ東京(現・東京放送)入社。テレビ演出部配属。『土曜と月曜の間』、『七人の刑事』などのドラマの演出にたずさわる。1970年に仲間とテレビマンユニオン創立。旅番組『遠くへ行きたい』、3時間ドラマ『海は甦る』などを演出。1975年ドキュメンタリードラマ『欧州から愛をこめて』を演出。以後、ドラマとドキュメンタリーの垣根を越えた番組を多数演出。1995年ドキュメンタリードラマ『こころの王国・童謡詩人金子みすゞの世界』で芸術選奨文部大臣賞。ほか受賞多数。元・武蔵野美術大学映像学科教授。現在、テレビマンユニオン非常勤取締役 最高顧問。一般社団法人「放送人の会」会長。

参加者へのお願い
・日曜のため、学内の学食や売店が営業していません。昼食はご持参ください。なお近隣のコンビニまで徒歩10分かかります。
・懇親会は、予約の都合で、9月1日(土)までに事前に参加申込された方で、希望される方が参加可能です。別途、懇親会費(5000円程度)いただきます。
・懇親会費の領収書は出ません。
・第1回研究会で上映した『欧州から愛をこめて』(1975年)は、放送ライブラリーで視聴できます。事前にご視聴されることをお勧めします。
・参加無料。どなたでも参加できます。

事前に、本会webサイトの申し込みフォーマットから
もしくは、下記メールにてご連絡いただけますと幸いです。

懇親会に参加ご希望の方は、9月1日(土)までにお申し込みください。
希望の旨をご記載ください。

申し込み用フォーマット
URL http://docudoraeizo.wixsite.com/documentarydorama

お問い合わせ
日本映像学会ドキュメンタリードラマ研究会
代表 杉田このみ
〒272-8512 千葉県市川市国府台1-3-1
千葉商科大学政策情報学部内

日本映像学会映像理論研究会第1回研究会のお知らせ【9月21日】

日本映像学会映像理論研究会第1回研究会のお知らせ

 

映像理論研究会(2018年度第1回/通算第22回)を下記の通り開催します。

シンポジウム「濱口竜介『寝ても覚めても』の制作と演出:

自主映画と商業映画、そして実体とイメージの間(あわい)」

  • 日時:2018年9月21日(金)18:30−20:30
  • 場所:成城大学731教室(7号館3階、小田急線「成城学園前駅」徒歩5分)ゲスト:濱口竜介監督
  • パネリスト:小河原あや(成城大学)、角井誠(首都大学東京)
  • 司会進行:木村建哉(成城大学)
  • 主催:日本映像学会東部支部映像理論研究会

学会員以外の方々の来聴も歓迎します。事前の申込は必要ありません(無料です)。9月1日(土)公開の濱口竜介監督の最新作について研究者が切り込むシンポジウムです。商業映画と自主映画の制作や演出の違いというテーマは、映画史的には古典的ハリウッド映画とヌーヴェルヴァーグの関係にも結び付く論点であり、また、映画の主題に沿った実体とイメージの関係をめぐる議論は、例えばアンドレ・バザンの「写真映像の存在論」にも通じる大きな問題を孕んでいます。

今や「世界の濱口」となった監督と研究者が交わす議論を是非多くの方に聴いて頂きたいと思います。30分程度の質疑応答も行う予定です。お知り合いの方々にも告知頂けると幸いです。

終了後には懇親会(打ち上げ)を予定しております(会費3500円程度)。こちらへの参加希望者は(学会員以外の方々も、どなたでも大歓迎です)、会場に入れる人数に限りがありますので、下記問い合わせ先まで事前に御連絡下さい。学会員の方も事前に御連絡下さい。登壇者とスタッフを除いては、原則として申込み順です。

問い合わせ先:木村建哉 kimura02●seijo.ac.jp(●を@に変えて下さい)